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第16話

そして夏コン

 「私が3年で東海大会に連れて行く」顧問の三田がそう言って、山田中学の吹奏楽部の顧問に就いて、2度目の「夏コン」が近づいてきた。1年目は、4月に就任して7月の「夏コン」であり、三田の指導というよりは、前任の顧問の仕上げをしたとう意味合いの方が多いと思われるかもしれない。その前の卒業していった旧3年生たちは、黄金期の後に入ってきて、黄金期を知らない最初の世代であった。黄金期から墜ちていくに当たり変な伝統が出来ていったようで、やたらに厳しく返事の仕方、お辞儀の仕方、そんなことまで厳しく指導していた。その反動があり、美奈の一つ上の先輩たちは非常に優しかった。
 その怖い旧3年生がいなくなり優しい新3年生との楽しい練習は、この夏コンに向けての総仕上げに入っていくのであった。

 コンサートシリーズ・夏が終わってからの1ヶ月は、夏コン練習オンリーであった。課題曲「スケルツァンド」と、自由曲「ナポリ」。2曲ともコンサートシリーズ夏が初演であったが、練習は全くゼロからやり直した。ロングトーン、タンギング、スケールと今まであまりやらなかった基礎練習からスタートしていく。そして、パート練習までが日課である。問題はこの時点で3年生、2年生で55名いる事である。そして夏コンはA編成(50名以下)である。つまり、どこかのタイミングで5名落ちると言うことである。この時は誰もそのことに気がついていなかった。いや、気がついていたが、怖くて声に出せなかったのであろう。少なくても自分は大会に出れると、根拠のない自信に満ちていた。
 美奈もオーボエは、先輩と2本となるが、自由曲の「ナポリ」は、クラッシック編成であるため、オーボエ2本でも対応できる曲である。事実、オーボエ2パートでスコアは書かれていた。このスコアは、顧問の三田の恩師でもある高山氏の編曲であり、演奏をしながら、書き直してその都度改良を加えていた。そういう意味で、必要な楽器はその都度変化させることが出来ていた。
 そのこともあり、通常であればA編成50名だと、オーボエは1本だよねと言う常識的な考えではなく、十分2本でいけると普通に考えていた。そのため、先輩といつも音を合わせようと先輩を見つめていた。しかし、先輩は最近どうも体調が良くないようである。一度、練習中に顔色が急に落ち倒れてしまった。そのまま回復したがしばらく自宅休養となってしまった。そういう意味で、2人体制とはいざという時の交代要員としても重要なポジションであった。もし、1人ということになったとき、美奈は自分が指名される可能性を感じていた。顧問の三田は、先輩が音を外してもさほど指摘をしないが、私が同じ事をすれば怒鳴ってくる。なんで私だけ、と思いつつ、それはこういうことだと勝手に思い込んでいた。
 少なくても、練習の時間だけを考えれば、先輩を超えていると自負があった。高音域はやはり先輩の方が上手いと感じている。しかし低音域の伸びは断然自分の方が良い音であると自信を持っていた。その思いが、美奈を奮い立たせて一人練習をするのであった。滅多に自宅に帰って練習をしなかったが、さすがに自宅で毎日ロングトーンからスケールまでを一通り吹いてメロディーを2、3回吹いていた。どちらかというと全体を通して吹くと言うよりは、失敗したところだけを何度も繰り返し吹くという練習を続けた。

 この年の大会は、地区大会も県大会も静岡市民文化会館であった。そして東海大会は長野県である。美奈の両親は長野県に前泊で入り観光する気満々であった。昨年があれで銀賞ならば東海大会いけるでしょう、程度に考えていたようである。

 顧問の三田は別の問題があった。どうしても5オクターブのマリンバを使いたかった。そして当然山田中にはないので、私学の付属三保高校に貸してもらえるようにお願いをし続けていた。しかし、先方もどうしても使いたいようで、借りることが出来なかった。そのため仕方が無く編成を変えて合奏練習に臨んでいたが、どうしてもしっくりこないようである。楽器もフルで出すとなると、調整が必要な物がいくつかあった。1年生が思いのほか多く入部してくれたこともあり、楽器に余裕がなくなっていた。いろいろ手を尽くすことで、なんとか5オクターブのマリンバを市内の高校から借り受け、足りないトランペットなどもそろえることが出来た。
 そうなれば、その楽器の数に合わせて編曲し直す事となった。そして顧問の三田の仕事は、55名のうち5人を「落とす」事となる。そんなこと簡単に決められるはずもない。仕方が無く各パートでオーディションを行うこととなる。フルートは6名。オーボエは2名。サックスは7名と、トランペットは6名、ボーンは5名と、当然複数いるので、そのうち何人かを合格として詰めていこうとした。
 とりあえずのオーディションは、サックスで言うところ2名。フルート3名。オーボエ1名。みんな3年生である。そしてボーンの2名。3年1人と2年の優子である。優子は実力で選ばれた。なるほど、そこは仕方が無い。あと、どうなるか。
 ここまで来て、オーディションに落ちた部員は、顔面蒼白。まだ決まってもいないのに泣き出したり、震えが止まらなくなったり。食事も出来ずひたすら泣き続けるしかなかったようである。

 花愛は、ボリュームでは負けていないが、フィンガリングで、つまずく事もあり、かなりゆっくりとしたペースで丁寧に練習を重ねた。サックスが何人通るかはこの時点では分からない。でも、少なくてもテナーとアルトの2人は合格して、席の数はその分減っていること。残り5人で席を争うこととなる。自分が残りたいという思いももちろん大きいが、そのために誰かが落ちる。これも嫌であった。

 彩は、そもそもその選考に入っていなかった。この4月にはじめたばかりである。当然と言えば当然であるが、それはそれで悔しかった。上手い下手の問題ではなく、そもそもその選考から外れていることが悔しかった。みんなが自分の知るところでないところで一喜一憂戦っているのを遠目で見守るしかなかった。何をやっても自分が出て行くことが好きで、今までそうやってやってきた。親の転勤ということもあり、そうしなければ新しい環境で自分を維持することが難しかった。自然に「前へ前へ」出るようになっていた。しかし、今回初めてその選考から最初から外されてしまったのである。1年生はそれも当然という感じてみているが、彩自身は2年である。同じクラス、同僚が戦っているのを眺めているのは辛かった。

 杏は、まだ安定したペットの音が出ていなかった。どうしても肺活量が足りず、フィンガリングも転ぶ傾向があった。「落とされる」。まさにそれは自分だと感じるようになった。もう誰も信じられない。自分も信じられない。と思えば思うほど息を吹き込めなくなり、指が動かない。音が裏返ってしまう。そんなことが頭によぎると、プスッと音が出ない。「えっ、ここで....」心の動揺がそのまま音となっていた。

 美奈は、そこまで動揺はしていなかった。先輩が通るということは自分もいけると思い込んでいた。「ナポリ」はそういう曲だ。オーボエ2本でこそ聴かせる曲だと自信があった。何度か顧問の前での演奏があったが、動揺はなくいつものように演奏が出来た。それより、そのおかげで落ちるパートの子がいることは意識していた。でも心の中では、それはいつも基礎練習を怠っていたそのパートが悪いんだよと、冷静に考えていた。ここに来て音が取れないんだから仕方ないんだよと、ちょっと離れて考えていた。

 優子は、わずか半年といえトロンボーンを仕切っていた。このオーディションで2年では唯一一発合格を獲得していた。同じ2年から転入の彩とは大きく異なり、オーディションを受けられ一発合格であった。でも他のメンバーの動揺がよく伝わり手放しで喜べなかった。声をかけて上げたかった。アドバイスしたかった。でも声にならない。というか、声をかけることさえためらうほど、他のメンバーは緊張し動揺し目がいつも涙目であった。

 絵里は、バスクラということもあり冷静であった。まだ完璧に仕上がっていなかったが、そこは木低。必要な音である。いずれ選ばれると冷静であった。バスクラも先輩がいて2本あったが、低音を支える重要なポジションである事を認識していた。

 みんな、それぞれの立場でこのメンバー選抜を迎えるのであった。顧問の三田も高山氏とともに、合奏をやり、その都度書き換え、またやり直しの繰り返しであった。先生通しの会話が漏れ伝わった。「ここはサックス、2本入らないでしょう...」「そうですね、削りますか」
 これにはさすがの花愛も動揺し、その場で泣き崩れてしまった。落ちるのは自分だと勝手に思い込んでいたのである。だんだん本番に近づくので、合奏練習の音のテンポを速めていったので、だいぶたくさんの音が落ちっていったようである。
 逆に、「うーん、足りませんねぇ。」「そうですね、ペット2本追加しますか」
 逆にこれは、杏の顔色が赤みが増えることとなる。「こんな私でもいけるかも知れない!」
 時には、顧問の三田が一人一人呼び出して、目の前でフレーズを吹かかせた。「こう吹いてみて」「ここはこうして」何度か指示が飛び、それに従っていろいろ吹いてみた。もう、みんな必死であった。何が起きているかよく分かっていなかった。顧問の三田も、高山氏とギリギリのバランスを考えていた。今この子達の実力で最高の演奏をしたいという、ギリギリの行動である。
 一般に高音域は音が通りやすく、低音域は音がこもりやすい。そのためメロディーラインは高音域が、伴奏が低音域になることが多い。低音楽器は音量が小さいため、複数で補うことがある一方、トランペットやトロンボーンなどは、その派手な音域をさらに大音量で出すことでスケールメリットを出しやすい。マリンバの5オクターブが手に入ったことは、実はこの音域調整を根本的に変えることとなるのであるが、そこまで部員達には理解できなかった。

               *    *    *

 そして事前ホール練を3回入れることとなった。夏コンは大ホールでの演奏である。大ホールの空気感に緊張しないように清水マリナート大ホールを借りての1日練を入れるのであるが、昨年、一昨年と2日分だけであったが、ことしは3日分入れることとなった。ホール貸し切りはそれなりにお金がかかるが、保護者会は承諾しホール練に行くこととなった。
 大会10日前である。そして、そのホール練のメンバーが発表されたのである。
 5人落ちたのである。フルートの彩は仕方なかった。パーカスなども仕方が無かった。まさかの選抜落ちは、オーボエの美奈であった。

 美奈は固まってしまった。泣くのは嫌だった。「あ、はい」無表情で返事をした。何をすべきか頭が真っ白になった。とりあえず、「落ちた」と言うことは分かった。が、で、次に何をするべきか、どう動くか、考えられなかった。呆然と列から離れパー練の教室に一人入り、止めどもなく流れ落ちる涙を拭くこともなく、崩れ座ったのである。泣き声は出なかった。ただ、ただ滝のように流れ落ちる涙を拭くこともせず、そしてそのまま横になった。1年生はそれを見ても何も声をかけれなかった。見て見ぬふりをするしかなかった。
 顧問の三田は、冷静に「選抜メンバーはホール練に向かうこと。それ以外は、楽器の搬送を手伝うこと」を指示していた。しかし、美奈の耳には届かなかったようである。気がつくと、楽器搬送を終えた1年生とともに学校で待機ということで椅子に座っていたのである。その日は待機組は昼で帰宅となった。
 選考には演奏の上手い下手よりも、音域の調整が主だったようだ。マリンバ5オクターブが手に入ったことで、高音域にボリュームが大きくなる。そうなると、中音域のメロディーラインを強化し、不要な高音域楽器を減らすことがバランスである。つまり、オーボエは2本ではなくなったのである。顧問の三田は、もてる資源とチャンスを最大限活かすことを常に第一としていた。
 家に帰っても、話すことはなかった。父がそんなことを気づかず、「ホール練って、マリナートでやるの?」などと聞いてくる。「知らない」答えるがやっとだった。「お客さんはいないんだよね、どんな感じ?」とまた父がずけずけと痛いところに探りを入れる。「知らないよ!私行っていないから!」とうとう怒鳴ってしまった。鈍感な父はまだ意味が分からないようである。

 美奈の両親が、選抜メンバー落ちを確実に知るのは次の日の朝となる。選抜メンバーは清水マリナート現地集合で、そのほかのメンバーは基本学内練習であった。集合時間と集合場所が違うので、やっと起きたことが理解できた。
 しかし、美奈はもう泣いていなかった。お弁当をもらっていつものように学校に向かっていった。選抜落ちは落ちとして、やるべき事は多い。そこは昨年1年生で何をどうするかやっているだけに、今何をすべきか、もう頭の中は切り替わっていた。もちろん今年の1年はなんの経験も無いので、美奈が指示を出さなければならないことは、分かっていた。
 そして、いよいよ夏コンが始まったのである。

シーズン1夏コン油絵350-min

 夏コン地区大会は静岡市民文化会館大ホールで始まった。美奈たち選抜落ちメンバーは、学内で楽器搬出のお手伝い組と、大会役員としてお手伝いする組と別れ、美奈は大会役員組の代表として朝から文化会館入りをし、スタッフとして手伝いをしていた。演奏をする選抜メンバーとは全くの別行動であった。会場の設営から、切符のもぎり、ドアの開け閉め、「携帯電話はお切りください」の声かけなど、なるほど、大会は多くの関係者の手伝いで作られているのである。山田中の生徒だけで動くのではなく、それぞれの部門別に再編成され、知らない別の中学校の生徒と組んで動くこととなる。すでに、山田中吹部ではなく、地区大会スタッフという動きであった。それでも、休憩時間等に後輩の1年の面倒を見て、疲れた子を見つけては大会本部に行って休憩させたりと、全体を見て動いていた。そうすることで美奈は自分の存在を認識しているようだった。山田中学の演奏が始まるも、前の学校の楽器の搬出手伝いをしていて、演奏を聴く時間は無かった。

 山田中学の前は、なんと顧問の三田の古巣の清水草薙中だった。後任の女性の顧問の指揮で、いきなりのファンファーレから一気にまとめ上げていった。「上手い」正直そう感じた。袖裏で待機して緊張している山田中の部員達に、「ありゃ、魔女だな!」といって緊張をほぐした。この一言がまさに魔法であった。演奏は今までに無い素晴らしい物であった。コンサートシリーズ・夏からわずか1ヶ月。メンバー選抜もありここでの演奏の状態へのかけ上がりは、まさに「化けている」ようであった。勢いがあり神がかっているようにさえ感じた。今までこんなにまとまった演奏を聞いたことがなかった。「ナポリ」が良かった。難しい曲であるがまとまり、聞かせる1曲であった。課題曲では清水草薙中にちょっと負けたかと思ったぐらいであったが、自由曲は確実に「勝った」と思えた。

 夏コンの発表は、金賞と銀賞を聞き間違えることが多いようで、金賞は「ゴールド」と読み上げる。結果発表は、プログラム順に読み上げて、「〇〇中学校、銅賞」、「〇〇中学校、ゴールド....」といった具合である。そして全て読み上げてから、県大会出場チームを読み上げる。そして、それぞれの部長、副部長に賞状と盾を授与し、その後「代表 〇〇中学校、〇〇中学校...」と4校を読み上げる。ここで「だめ金」「行く銀」などのドラマが生まれる。最後まで聞き逃さず聞かないと発表を聞き逃すので、発表の最中は意外と静かである。大きく騒ぐと他の学校が聞き取れず迷惑となるからである。それでも「ひっ!」とか「きゃっ!」とか、漏れた歓声が会場のあちこちから聞こえるのである。
 地区大会は、「山田中学校、ゴールド」「代表」であった。まずは、県大会進出。

               *    *    *

 さて、県大会は1週間後に同じ静岡市民文化会館大ホールで行われた。美奈達はまたお手伝いで朝から別行動であった。よくある、選抜メンバーを激励して送り出すというシーンはなかった。それでも、会場で顔が合えば「がんばって!」と声をかける余裕が生まれていた。1週間後に同じような事をするので、1年生も、もう何をすべきか分かっていた。美奈は全体を見ながら、各部門に分かれた山田中全体を気にかけながら自分の仕事を進めていた。
 いよいよ県大会の演奏が始まった。このわずか1週間でさらに演奏が上達していた。もう、聴く方も楽しみながら聴けるレベルであった。この演奏ならいける、みんなそう思えていた。
 演奏が終わった。花愛は涙があふれていた。東海大会に行けるかどうかではなく、自分たちに感動していた。杏も目は真っ赤であった。まだ結果を聞いていないのに、満足であった。

 そして最後の結果発表の時を迎えた。
 「山田中学校、ゴールド、....」予想通りであった。もう涙があふれていた。そして、代表校の発表となる。「代表、〇〇中学校、〇〇中学校、....」
 あれっ、呼ばれなかった。あれ、なんで、あれっ、.....
 みんな呆然とした。絵里は審査員席を見つめ直した。聞き逃しかと思った。花愛も審査員の動きに目を追った。優子は自分がメモった各校の成績を数えていた。金賞が6校あった。呼ばれなかった「だめ金」が2校。静岡からの山田中と大岩中の2校であった。本来なら喜ぶべき「金賞」であった。

 閉会式が終了し、ひとまず会場を出て、文化会館の外に集まった。スタッフとして手伝った者、楽器を搬出して駆けつけた者、演奏を終え会場で聞いていたメンバー、しばらくすると、賞状を持った部長、副部長が出てきて合流した。
 突然、美奈が泣き崩れた。選抜メンバーではない美奈が泣き出したことに、みんな「はっ」とした。先輩の部長が駆け寄った。「ごめんね、美奈。東海に連れて行けなかった.....」
 花愛も杏も絵里も駆け寄って、美奈を抱いた。「ごめんね、美奈....」

 美奈は、みんなの前で選抜から落ちても泣かなかった。1日呆然とはしたものの、翌日から1年生をリードして手伝い組をフォローし率先して動いた。当日会えないことも分かり、メモ書きで全員のメンバーに「がんばれ!行こうね東海大会!」とメッセージを書きそれぞれの楽器に貼り付けていた。そんな美奈をみんな見ていた。
 だからこそ、部長の第一声が美奈に対しての言葉であった。

 2年目の夏コンが幕を下ろした。
 暑い夏であった.....

 めざせ!東海大会♪
 シーズン1 完

かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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