美奈は、静岡市の郊外の静かな山田地区に生まれた。ほどなく広い道路ができたことで、田畑が一気に開発され街は住宅地へと変貌していった。両親は共稼ぎという事で、生まれて間もなく、保育園に通う事となる。そして、山田小学校へと順調に育っていった。
美奈の家は、両親と兄弟(兄)と、祖父が同居していた。祖父は、足が悪く杖と車いすの生活であったが、子どもたちの様子を見ることはできた。このことで、放課後校庭解放や、放課後学級の整備が遅れたこの地域でも、両親が共稼ぎの友達の子どもたちにとって、憩いの場所であったようだ。いっぱい遊び、いっぱいケンカして、また、いっぱい仲直りしていたようだ。
お友達の影響はよく出るもので、小学校の時、美奈はお友達が近所のスイミングスクールに通っていることを知り、卒業までスイミングスクールに通っていた。もともと、運動が得意な方ではなかったが、泳ぐのは楽しかったようで、休まず通っていたようだ。
そんな美奈も、小学校を無事卒業し、山田中学校へと進学することとなった。当然のごとく「何部に入る?」と、そわそわした春休みを過ごすこととなる。よく遊びに来る女子友達とは、バトミントンのような遊びをやっていて、バトミントン部かテニス部は、気になる部活だったようだ。
保育園、小学校の頃よく遊んだ兄の一つ上の友達が山田中学校の吹奏楽部で、その頃は県大会2年連続1位突破という黄金期だったと知ることとなる。また、美奈の母親が、室内でフルートを吹いてみたいという事で、フルートを買って持っていたこともあり、吹奏楽部もちょっと気になる部活となっていた。
山田中学校吹奏楽部は、中学校A編成(50名以下)県大会金賞常連校であり、2年連続東海大会出場という輝かしい歴史があったが、顧問の先生の異動があり、翌年は、なんとか金賞にとどまったが、さらに翌年また顧問が変わり、それ以降は銀賞に落ち部員も減りA編成(50名以下)を維持することが危ぶまれていた。山田地区は、広い道路ができたことで多くの新興住宅が建ち、静岡市内でも有数の人口増加、特に子どもが増加した。山田中学は、静岡市内で2番目のマンモス校になっていた。そのなかで、部員の減少が止まらない状況であった。
* * *
さて、4月になり美奈は期待と不安を胸に、山田中学校へ入学した。同じ山田小学校からの仲間に、隣の地区からの新しい仲間も加わり、全く新しい先生たち、校舎、先輩....。昔からの友達と、同じクラスになったり別々のクラスになったり早速新しいお友達ができたりと、めまぐるしく環境が変化していった。
入学式には、先輩たちの歓迎式があり、吹奏楽部員による特別演奏もあった。「アルセナール」軽快なマーチで、山田中学吹奏楽部のテーマ曲の様な存在だ。「風になりたい」THE BOOMのポップスだが、吹奏楽編成用にアレンジされ広く吹奏楽で演奏されている。初めて聴く生演奏。澄んだ高い音から、腹に響く重低音。そして口すさみたくなる軽快なサウンド。美奈は聴いているだけで気分が高揚してきた。
「新入部員募集中!」「来たれ!○○部!」学校内は、先輩たちが新入部員確保に躍起となっていた。まずは、体験入部。バトミントンに、軟式テニス、もちろん、吹奏楽部も覗いてみたようだ。
吹奏楽部では、いろいろな楽器が並べられ金色に輝いて綺麗であった。「どれでも、吹いてみて!」と先輩から誘われ、見よう見まねで恐る恐るマウスピースを口に当てて息を吹き込む....。
すー、すー、ふー、ふー.....
音にならない。力めば力むほど、
すー、すー、ふー、ふー.....
そんなことをしているうちに、ぶぉぉ....と、音らしいものが出た。
思わず、「きゃぁ!」と驚きつつも、うれしくなり、また、
すー、すー、ふー、ふー....ぶぉぶぉぶーっ....
もともと、リコーダーは好きな方だったので、コツがつかめればある程度、音の様なものを出すことはできたようだ。金管から木管いろいろ体験してみて、木管はそんなことで、何となく吹くことができたようだ。
木管楽器。フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、そして、サックス。さて、何にしようか、頭の中を思いが駆け巡りだした。
母は、フルートなら吹けるかもという事で買ってはみたものの、仕事と家事の両立でなかなか練習ができず、新品のままケースに眠っている。また父は、クラッシック音楽を聴くのが好きのようで、なかでもバイオリンとホルンが好きらしい。父のステレオの大きなスピーカーの上には、本物のバイオリンと、ホルンが置いてある。
美奈の家には、偶然にもいくつかの楽器があった。そのこともあり、学校から帰るとフルートを吹いてみたりホルンを試してみたりリコーダーを取りだして吹いてみたりと、試行錯誤を始めることとなる。すでに吹奏楽部に入部することを心で決めていたようだ。
吹奏楽部は、この時期、学校の行事にかり出されることが多い。
毎年サッカー部の大会「ライオンズ杯」の開会式と閉会式の演奏を依頼されている。先輩たちが昨年度練習してきた曲の中から何曲か演奏させてもらえるようだ。今年の開会式は、「アルセナール」、「風になりたい」そして、静岡市のシンボルでもある「ちびまるこちゃん」から「アララの呪文」と、国旗掲揚の「君が代」の4曲であった。また、閉会式は、「アルセナール」、「ガッチャマン」、優勝チーム優勝旗授与の「得賞歌」、国旗降納の「君が代」の4曲であった。
新入生に対しては、入学式の後、2年、3年の先輩たちとの対面式があり、その時の演奏は「シュガーソング」、「風になりたい」の2曲出会った。新任顧問の三田は、これらの選曲はほぼ関与していない。2、3年生の引き継いだ部員たちが吹ける曲の中から選ぶしかなく、赴任してからわずか1週間程度の事である。とにかく形となる曲をと言うことで「引き継いだ」というのが本音であった。また、この1,2週間での出来事で、今の山田中学校の吹奏楽部に出来ていること、出来ていないこと、さらに、これからやらなければならないことの全てを感じ取っていたのである。
一方、新1年生のほうは、サッカーの大会の演奏はすでに入部を決めている一部の新入生も見学に来てはいるが、入学式と対面式での演奏が、吹奏楽部の新入部員獲得のための最大の見せ場でもある。事実、美奈は吹奏楽部よりもバトミントン部か軟式テニス部に入りたいと思っていたが、この演奏でたちまち吹奏楽の虜になり、吹奏楽部入部をほぼ決めてしまったのである。新1年生は、キラキラ金色に輝く楽器と、太く低く高く華麗な音を出す先輩の演奏を見て「かっこいい」と思わずにはいられなかった。美奈と保育園から一緒で、よく遊んだ杏も、偶然にも吹奏楽部でまた同じ道を歩むこととなった。
* * *
4月も終わりかけたころ、部活を正式に決めることとなり、美奈は「私は吹部をやりたい」と両親に伝えた。「すいぶ」と聞いて「水泳部」と両親は思ったようだが、「吹奏楽部」のことを、このごろの子どもたちは「吹部」と呼ぶそうだ。
そして、正式に吹部に入部した。まだ、どの楽器を吹くか決めたわけではないが、どうやら、楽器はある程度数に制限があり、自分が吹きたいと思った楽器でも、やりたい人が多ければ、その中で選ばれることになり、やりたいと思った楽器以外に回されることもあるようだ。となると、ある程度駆け引きがあり、第1希望、第2希望、それ以外....周りの他の新入部員の「あの楽器をやりたいと」いう情報を耳に、どの楽器を第1希望とするかが、重要なポイントらしい。
木管だと、サックス、フルート、クラリネットは、やはり人気があるようだ。
美奈がどの楽器をやりたいのか、気がかりな両親に出した答えは、「オーボエ」。理由は、音らしい音が出たことと、フルートだと選考に落ちたらどの楽器に回されるかわからないという不安。そして母親のアドバイス。「オーボエは、やりたい人が少ないから、ずっとやっていける」と。ただオーボエの難しいところは、一つの楽隊に何本もいるものではないこと。50人程度の編成なら1本がほとんどで、まれに2本という事もあるが、クラリネットのように5本、10本とはならない。マーチングをやる時は、むしろ要らない。どうやら、必ずしも必要な楽器ではなさそうな雰囲気である。それ以外の要素は、楽器を自前で買うか学校の備品を使うか、という選択。
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オーボエは、学校の備品として、ヤマハスタンダードが1本あり、それは先輩が使っている。それとは別に、古いマリゴストラッサが2本あるが、備品ではなく、誰かが寄付してくれたようなものらしい。さて確実に「オーボエ担当」になるためには、ちゃんとした自前の楽器を買う。これは強い味方となる。
しかし、クラリネットと違いオーボエは「高い」。簡単に買える金額ではない。軽自動車が買えてしまう値段である。仮に買ったは良いが「もう飽きた」と言われちゃうと、大変なことになる。
人気の高いフルートや、クラリネット、トランペットの希望の子たちの中では、早々「買います」という人も現れる。そんな中、確実に「オーボエ担当」をつかむには、「買う意思がある」と答えることとした。
先輩の中では、ユーフォニウムからトランペットに変更した子、フルートからホルンに変わった子もいるようだ。途中での楽器変更は、よほどの実力がないと大変らしい。ここは「オーボエ担当希望」とした以上、がんばってみよう。美奈は心に思ったようだ。
とりあえず、使っていない、マリゴストラッサを借りて音出し練習をすることとなる。
ここにきて、美奈の両親が頭を抱えることとなった。楽器が高いことはある程度覚悟した。一生の趣味になってくれれば、それは良いと思えるし、万が一「もう飽きた」となっても、中古市場に出すこともできる。今すぐ買うのではなく、しばらくやってみて、続けられると思ったときに買えばよいので、それまで、がんばってお金を貯めよう。そう決めていた。問題はそのあと発覚した。オーボエはリードと言われる葦の茎でできた細い板状のものを2枚重ねて、草笛のように吹く。このリードが消耗品で、高い!事に気づくのだった。
初心者は、このリードの扱い方に不慣れである。乾燥しているので、湿らせてから吹くのであるが、ここにある程度のコツがいり、乾燥していると割れてしまう。湿りすぎると音にならない。ちょっと強く吹くとまた割れてしまう。普通に買えば1個3,500円!でも、いい加減なものを買うと悪い音や、悪い吹き方を覚えるので、ちゃんとした物を買って下さいと、言われ後ずさり。とりあえず、1本はもらう事ができ、もう1本を買って2本を使うこととした。恐る恐る水につけて、唇で湿り具合を試して、軽く吹いてみる。気がつくと1本割れているようだ。
このままでは大変なことになると、父があわてて、ネットで1本500円の中古チューブの巻き直しのリードを10本買ってみた。試してみたところ、わずか1週間で全滅。というか、まともな音が解らない状態で、割れているか否かもわからない。気がつけば「割れている」。口に付けただけで「割れている」....。
あわてて、20本追加で購入して急場をしのいだ。
クラリネットも、サックスも、同じリードを使う楽器であるが、1枚で音を鳴らす。対してオーボエ、ファゴットは1枚リードで音を出す。扱い方も2倍難しく値段も2倍高い。都合、コストは4倍高い....。
まさに、リード地獄であった....。
それでも、両親はリードを大事にし過ぎて、結果音が出ないのでは本末転倒。どんどん割って良いから、音を勢いよく出すようにと、言って聞かせた。
父は陰で、せっせとネットオークションチェック。とにかく数をそろえようと、中古チューブの巻き直しの安いリードを買うこととした。オーボエ奏者は、リードのコストは共通の悩みのようで、プロの奏者は、自分で自分の好みに巻いて使うようだ。セミプロレベルだと、練習よりもリードを巻いいる時間の方が長い人もいて、売って小遣い稼ぎする事もある。その為、リード巻き用の工具もネットで売っているようだ。また、最近では樹脂製のリードもあり、性能も向上してプロの奏者でも樹脂を使う人もいるようだ。とは言え、樹脂製は1本一万円を優に越え、自分にあった物にたどり着くのにまた、高くつきそうだ。
そして、音出し練習を続ける日々となる。
かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。
※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。