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第04話

あっという間の夏コン

 吹奏楽部の一大イベントは、いわゆる「夏コン」である。全日本吹奏楽コンクールと呼ばれ、アマチュア吹奏楽団体を対象とした吹奏楽のコンクールであり、1940年から、途中戦争で中断もあったが今に続く歴史のある大会である。運動部でいうところの中体連とか、野球でいえば甲子園みたいなものである。各都道府県単位で吹奏楽連盟があり、各県をいくつかの地区に分けて、地区大会、県大会と進み、支部大会、全国大会と、徐々にステップアップしていく。静岡市は、静岡県中部地区大会、静岡県大会、東海大会という枠になっている。

 昔は、「吹奏楽の甲子園」と言われた「普門館」が全国大会の会場で、「甲子園行くぞ!」に対して「普門館行くぞ!」と言われたようだ。「普門館」は、耐震上の問題があり使用を断念、現在は名古屋国際会議場センチュリーホールが最終ステージである。
 基本は中学校、高校、大学、一般の部門に分かれているが、中高一貫教育などは混合編成も認められている。A編成(50名以下)が基本で、課題曲と自由曲合わせて、12分間の中で競う事となっている。使用する楽器は、金管、木管、パーカッションで、コントラバスやピアノは認められているが、例えば、エレキベースは現在では使用禁止である。
 また、編成は吹奏楽編成で、ブラスバンド編成やオーケストラ編成は認められていない。一方、広く吹奏楽を普及させるという目的もあり、B編成(30名以下)、C編成(小編成)なども存在するが、全国大会までは行くことができない。また、B、C編成は、自由曲のみで競う事となる。

 評価は、複数の審査員が技術面、表現面を絶対評価で審査し、得点を合算して「金賞」「銀賞」「銅賞」の3段階で発表する。地区大会、県大会などでは、次の大会への代表選考を兼ねており、これは、例えば県大会上位4団体が、次の東海大会出場資格が得られるといった、相対評価の枠が決まっている。ここにドラマがあり、出場枠が4団体とした時、絶対評価が高く金賞が5団体あれば、上位4団体は次にコマを進められるが、4団体は「金賞なれどコマを送れず」いわゆる「だめ金」が生じる。逆に絶対評価が低く金賞が3団体だとすると、次点の銀賞から「いく銀」が生まれることとなる。

 かつて静岡市でも、静岡市立商業高校が3回連続全国大会(マーチング部門)出場という輝かしい歴史を残したこともあったが、最近は楽器の街「浜松」の層が厚く、静岡勢の県大会突破が難しくなっている。中学校の部門も、静岡市から東海大会にコマを進めたのは、数年前のここ山田中学校が2年連続を最後で、県大会突破が無い状態である。
 浜松はなぜ強いのか?高校レベルだと、長い伝統に基づく練習や指導の積み重ねもあり、浜松を抜くのは容易ではないが、中学校であれば、覚え始めは皆変わらないはずである。事実、その浜松でも、東海大会5連続出場常連校が翌年地区大会突破もできなかったという例もある。また、顧問の先生の異動か教育方針の変更か、東海大会出場常連校がぴたっとなりを潜め、それまで県大会も出場できなかった中学校が突如として県大会を突破してくることもある。やり方次第で、浜松を抜き東海大会にコマを進められるはずだ。その思いは、山田中学校吹部顧問、生徒、父兄全ての願いでもあった。

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 「夏コン」は7月後半から8月にかけて実施されるので、1年生にはほとんど縁がない状況である。この時期の1年生と先輩2、3年生との開きは大きく、2、3年生は「夏コン」に向けての猛特訓が行われ、1年生とのコミュニケーションをつくる暇が無い。仮に先輩がこうしたら良いよと言ったところで、それをイメージできる1年生の状態ではない。「夏コン」が終わるまでは、1年生は全く別の部活の様である。そして「夏コン」が終われば、夏休み。9月の新学期の時は、3年生は引退していて、1年生と2年生で部活が再スタートする。中学校の吹部は、常に2学年がフルメンバーである。
 この頃の1年生は、まだもともに「音」が出ていない段階で、「曲」の合奏など夢のまた夢。想像すらできない状態であった。

 楽器の担当が決まり渡された楽譜は、もちろん「夏コン」用の課題曲と自由曲。
 課題曲は「マーチ・スカイブルー・ドリーム」。自由曲は「風紋(原曲版)」であった。とはいうものの、1年生には、そもそも楽譜が読めない。オタマジャクシだけならまだしも、何やら、#(シャープ)だの、♭(フラット)だのいろいろ賑やかである。また、「ベー」、だの、「アー」だの、日本語では無い言葉が飛び交う。「ドレミファソラシド」と言う人は誰もいない。というか、いわゆるピアノでいう「ド」の音そのものが、そのままでは出せない。

 木管はまだ、何となくリコーダーと同じように指を動かすと、それらしい音階になる。が、金管は、そもそも3つのレバーしかない。トロンボーンに至っては、レバーも無い。と、その前に、マウスピースから同じ音が出ない。勝手に音色が変わっている。逆に言えば、レバーを動かさなくても「ドレミ」と似たような音を出すことができる。
 と、こんな状況であった。

 顧問は、1年生には課題だけ与えて、2、3年生のコンクールの練習に付きっきりである。「このフレーズを吹けるように」と課題を渡されても、まともに吹けない。だんだんつまらなくなって、無駄話に花が咲く。まぁ、良好なコミュニケーションを取ると言えば聞こえが良いが、どうも脱線ばかりで、本題の「練習」に話が進まない。

 最初は、そんな話も楽しいものだが、毎日毎日では飽きてくる。そのうち誰かが「ちゃんとやろう」と言いだす。でも、どうやって良いのかが分からないので、結局「練習」にならない。オーボエはユーフォと音が合うらしく、一緒に練習することもあったが、そもそも木管と金管。合うはずがない。フルートと組んでも、クラリネットと組んでも、それぞれの必要な「練習課題」が異なるので、なかなかなじめない。美奈は、改めて、オーボエは一人だけということを実感していた。誰とも合わない。誰も合わせてくれない。1枚リードより、2枚リードの方が難しいのに、誰も分かってくれない。オーボエは好きだけど、吹部をやめたい…そんなことを思い、家に帰るとひとり熱いものを流していた。そんな中で、サックスとは気が合うようだった。たまに持ち替えて吹きあったこともあった。せめての気を紛らわしていた。

 これは、美奈に限ったことではなく、吹部全員がどこかで感じていることであった。それぞれの楽器について少しずつ分かってくればくる程、練習方法も向かう方向も違ってくる。一緒に練習自体が難しくなる。そこに、1本のオーボエが入ってきても、どうして良いか分かるはずもない。パート練習といっても、オーボエ1本のパートというわけにはいかない。一緒にやると言っても、自分のことで精一杯で、相手のこと考える余裕はない。ついつい変な仲間意識が働き、別な方向へと向いてしまう。そこはまだ、中学生である。
 美由は、ファゴットを担当した。これは、ファゴットの低域から響く音に惚れて選んだ。もちろん、他に希望者はいないので、そのまま決まった。ファゴットも、2枚リードの楽器であり、オーボエと同じような吹き方になる。しかしリードの大きさは2倍以上あり、リードの加え方からそもそも違う。音域も違うので、美奈と一緒には練習できなかった。美由は自分一人しかいないということを自覚して、両親を説得してレッスンを受けることとした。ファゴットは、楽器自体150万円以上する物で、メンテナンス等にもお金がかかる。それに増してレッスンとは、両親もびっくりした。しかし、楽器は顧問の三田が貸してくれるということで、それならばと、レッスンに行くことを許してもらえた。

 校舎の上から、先輩たちの演奏が聞こえる。相当厳しいのか、何度も何度もやり直しさせられている。でも1年生には、それは別の世界であった。

 美奈は悩んでいた。父は心配になり、取引先にオーボエ奏者がいることを知り、その人に相談することとした。そのオーボエ奏者の助言は、「オーボエは、オーケストラでも一番最初に調音する基準となる楽器だから、オーボエがみんなに合わせるのではなく、みんながオーボエに合わせるものだと思えば良いよ。自立心が高く自信を持った人に向いている楽器で、美奈ちゃんには似合っているね。楽器奏者たちは、役職で話を聞くのではなく、実力者の話を聞く。ちゃんと練習をして上手くなれば、自然とみんなが付いてくるから心配ないよ」という事であった。

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 「夏コン」中部地区大会は、焼津市民文化会館という事だった。行ったことも無い場所で準備を手伝う事となった。といっても、先輩達と一緒に行動するのではなく、別に移動して、チケット整理、受付係、扉の開閉係、誘導係、案内係などがあり、なるほど、演奏とは別にいろいろな係が支えている。もちろん、他の制服の中学生もいっぱい来ている。みんなで時間を決めて、みんなで役割を決めて、演奏会を支えていくという事を、初めて体感することとなった。
 ミーティングが終わって外を見ると、もうすごい列ができていた。こんなにたくさんのお客さんが、暑い中、並んでいる。嬉しいというか、ちょっと怖くなった。緊張してきた。会場のホールの扉を開けてみる。意外と重い。今まで自分で開けたことが無かった。不用意に閉まらないように気遣い、演奏が始まれば、閉じなければならない。
 会場にお客さんを誘導し、「携帯電話の電源をお切りください!」などと、大きな声で案内をする。今まで知らない大人たちに向かって、こんなに大きな声を出してしゃべったことは無かった。でも次第に慣れてくる。他校の子たちもみんなやっている。しかし休憩があるとはいえ、一日中出たり入ったりで疲れた。吹部に入って、一度も演奏をしていないのに「疲れた」。

 先輩たちの演奏を聴くことはできなかった。そんな余裕も無かった。全く別行動である。気がつけば、先輩たちは終わっていた。最後の講評で、「山田中学校、ゴールド」と呼ばれた。そして、そのあと「代表校、….山田中学校…..」と次の県大会出場を告げられた。
 今年は、上手くないとみんなから言われていた。県大会は無理とも言われていた。でも、どうやら行けるらしい。自分が出ているのではないけど、気分が高まった。

 ここからの1週間は何があったか覚えていない。先輩たちの猛特訓が始まった。そして、あっという間に、県大会の会場、富士ロゼシアター大ホールでお手伝いとなった。
 そして、あっという間に、最後を迎える。「山田中学校、シルバー」だった。
 銅賞ではなかった。それは残念の銀賞ではなく、うれしい銀賞であった。それは快挙だったが、また実感のない「夏コン」であった。

 部員確保がやっとであったこの年。県大会に出れただけでも素晴らしいと、皆浮足立ってきた。顧問の三田の3カ年計画の最初の年で、県大会なら、来年は東海大会で、再来年は、全国大会だ!当初は、3年で東海大会に行く計画の「前倒し宣言」であった。

 世間でいうお盆の期間から、中学校最初の短い夏休みとなった。ゴールデンウィーク明けから、今まで、ほぼ土曜日は1日練。日曜日も午前練で、まともな休みが何日あっただろうか。運動部などは同じだが、他の文化部などはもっと休みが多いらしい。あれほど休みたいと思った割に、いざ休みとなると、何をやりたいか考えていなかった。家族と旅行に出かけた。遊園地で乗りたかったジェットコースターに乗ってみた。でも、短い暑い夏休みもあっという間に過ぎ、再登校の日を迎えた。

 そして、2年生と1年生の、2学年だけの新吹部がスタートすることとなる。

かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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