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第05話

あるオーボエ奏者との出会い

 美奈の父親の会社の取引先にオーボエ奏者がいた。彼女は、会社で仕事をする傍ら、市民楽団でオーボエを吹く、セミプロとして活躍をしている。もともとは、他の地区での吹奏楽OGで、今の会社に入ってから趣味として市民楽団に入団し、オーボエを担当していた。そんなこともあり、父は娘の悩みを彼女に伝え、アドバイスをもらったりしていた。
 プロのオーボエ奏者で、レッスンをしている人がいて、一度見てもらうと良いというアドバイスを受けた。本当の音、本当の練習方法を知らない美奈にとって、それは初めて「本物」に出会う事となる。

 静岡市郊外の小さな街で、その先生の両親は農家をやっているようで、大きなお宅であった。その納屋の様な場所に案内された。外見とは裏腹に、内装は防音構造となっていて、ちょっとした練習室となっていた。先生は若い男の人で、プロの楽団に所属したり、海外の楽団で演奏したりと、忙しい活動をしている傍ら、地元でオーボエのレッスンを中高生相手に行っていた。
 オーボエは、圧倒的に演奏者が少ない。同様な楽器でもクラリネットと比べたら、十分の一もいないだろう。そのため、木製で金属のキーを取りつけて似たような楽器であるが、生産量の違いもあり、クラリネットとの楽器の価格差も数倍の開きがある。また周囲に経験者も少なく、1枚リードと2枚リードの違いもあり、見た目が似ていても音の出し方が全く異なりつぶしがきかない。そのため、教わりたくても教えてもらえる人に出会うチャンスがない。
 その点、美奈は偶然にも父の知り合いからプロのオーボエ奏者に接点を持つことができた。

 しかし、相手はさすがにプロである。全世界に通じる技術や指導方法であるが、それは部活レベルの、それもオーボエ未経験者の指導のレベルではないことに、美奈本人も両親もすぐに気がついた。それもそのはず、まだ、まともに「音」が出ていない段階で、聞く音、教わる指使い、全てが想像の域を超えていた。

 先生はたまたま、自分の楽器は調整中で、練習用のヤマハと、先日まで貸し出していた、古いマリゴストラッサしか吹ける楽器が無かった。美奈もまずは、話だけ聞くと言うつもりだったので、楽器を持たずに来てしまったため、先生の楽器を借りることとなった。リードだけは持ってきていた。
 このリードは、父がネットで探してきたものだが、いわゆる中古チューブの巻き直しとは違い、ドイツ人の有名なオーボエ奏者が提唱している「マイヤー」モデルのチューブを使い、リードそのものは、セミプロのオーボエ奏者がアルバイトで巻いた物で、1本1,500円であった。いろいろ試した中で、力まず良いまっすぐな低音が出ると、美奈のお気に入りのリードであった。

マイヤーモデルリード水彩画350-min

 先生の演奏は、うっとりするような優しい音色だった。また、本物の「音」を、美奈も両親も初めて生で聞くこととなった。とても同じオーボエの音とは思えない、柔らかく澄んだ、時に軽快に時に重厚に変化に富んだ豊かな音色だった。
 さて、美奈が吹くこととなった。最初にプロの音を聞いたこともあり、恥ずかしくて「音」にならない。照れ笑いをしながら、顔から火の出るような恥ずかしい思いと共に、なんとか「音」を絞り出してみた。
 先生には、この瞬間、この子のレベルはすぐに分かっていたと思う。

 まずは、持ち方から指導された。
 言われてみれば、正しい持ち方を知らなかった。教本に書かれている文章、写真や、先輩から「私はこうやっている」とのローカルな方法。何となく持っていた。

 リードだけで吹かされた。
 ところが、ここはむしろ褒められた。「いい感じだね」と。
 先生は、このリードを持って自分で試してみた。父がネットで買った安いリードで「これではだめだ」と言われるかと思った。しかし、先生は「これが気に言っているのなら、これで良いよ。」と言ってもらえて安心した。
 リードにもいろいろ癖があり、柔らかい音が得意なものや、大きくて深い音が得意なものなどがある。楽器との相性、演奏者との相性などもあり、繊細なパーツである。逆に言えば、合わないリードを使っていると、いつまでたっても上達しないばかりか、悪い癖を持ち、結果、全てを台無しにしてしまう事もあるという。

 次に、単純にいわゆる「ドレミ」を吹くように言われた。キーの指使いを指導された。
 オーボエは、木製の管に穴をあけて、その穴を塞いだり開けたりすることで音階を作っている。そのあたりは、小学生の時のリコーダーと同じである。オーボエに限らず、こと木管は、フルートにせよ、クラリネットにせよ、サックスにせよ、その原理は全く同じである。フルートだと高音域なので、周波数が短いため両手の指をそのまま開けば音階になる場所に穴がある。だんだん低くなると周波数が長くなり指の間隔では届かなくなる。そこにキーとバネと連動する長い棒、それを支えるポスト、そして離れた場所にある穴を塞いだりする蓋がセットされたパーツがあり、手元だけで音階が作れるようになっている。
 ただ、オーボエ楽器のもつ独特の演奏方法として、トリルキーと呼ばれる、指の移動を少なくして素早い音の変化ができるようなものがある。ピロピロピロピロと、キーを指で押したり離したりするだけで演奏できるように工夫されている。もちろん、そのレバーを押さなくても演奏することができるが、キーを押す方が楽である。そのトリルキーの組み合わせがいろいろあり、メーカーやモデルの違いとなっている。

 そのため、オーボエは同じ音を出すのに、いくつかの指使いができるようになっている。また、どうしても構造上「全く同じ音」とならないキーもあり、それは吹き方を変えることで「同じ音」に調音する。そこが上級者のテクニックだそうだ。しかし、そんな細かなことは初心者に分かるはずもない。たまたま先輩から、この時はこの指使いが簡単だよと教わった方法が、その微妙に音がずれる方法だった。もちろん、その指使いを使う事も多く、その際は吹き方で調整するのだが、そんなことまで指使いの教本などには書かれていない。
 先輩から教わった方法を指摘され、ちょっと悲しくなった。

 学校で配られて練習している曲を吹いてみた。曲の指導の前に、楽譜にいろいろと書き込んでいることを注意された。美奈は、顧問や先輩たちに指導されたことを、一杯楽譜に書きこむようにしていた。忘れないためである。強調すべきものは、大きく書き、目立つようにぐるぐるまわりを囲った。確かに、見づらい。そもそもの音符が文字などで隠れている。これではだめだと指摘される。

 美奈は初めて、強く、細かなことまで否定されたように感じた。辛くなり涙が流れた。でも、言われるままに指使いを直し、吹き方、姿勢を直し、レッスンを終えた。

初心者の美奈には、刺激が強すぎたかもしれなかった。でも「本物」を知るという面では、大きな成長を促すこととなった。

               *    *    *

 父の知り合いのオーボエ奏者と、偶然にも会う事が出来た。
 彼女は、なんとイングリッシュホルンという楽器も持ってきてくれた。
 美奈は、オーボエの低音域の魅力にはまったという事もあり、このイングリッシュホルンとの出会いは格別であった。
美奈は彼女に「まっすぐ、力強い低音が吹ける」ことを褒められて、うれしかった。肺活量があり低音域は得意であったが、逆に高音が苦手だった。それならばと、なんとイングリッシュホルンを試し吹かせてもらえることとなった。こんなこと、そうあることではない。美奈は嬉しくて「きゃぁっ!」と叫んでしまった。

 イングリッシュホルンとは、オーボエの1オクターブ下の音を出せる低音域の2枚リード楽器である。ホルンとは名は付いているが、いわゆる金管のホルンとは似ても似つかない、見た目は、オーボエより1.5倍程度長い形をしている。澄んだ丸く響く低音。オーボエは2枚リードという事もあり、どうしても草笛の様なつぶれた音色になりやすいものだが、低音域はそれこそ「ホルン」と間違うほど、丸い音が出て全く性質の違う音となる。そのオーボエの低音域の魅力をそのまま楽器にしたのが、まさにイングリッシュホルンであった。

イングリッシュホルンベル水彩画350-min

 美奈にとって、イングリッシュホルンとの出会い以上に影響したのは、この人が演奏とは全く関係の無い、ちゃんとしたお仕事をやりながら、一生の趣味として市民楽団に入り「仕事と趣味」を両立していることであった。
 楽器をやったからといって、誰もがプロを目指すのではない。また、プロを目指すのであれば、もっとほかに練習方法もある。実際に、プロを目指す高校や大学などもある。でも、プロである以上お仕事も演奏者である。何もそこまで...と考える人の方が普通なのかもしれない。
 美奈も、具体的ではないものの、将来の「お仕事」に関しては、いろいろと興味関心があり、「プロのオーボエ奏者」という選択肢は無かった。単に部活として楽しみたい程度にしか考えていなかった。でもそれでは、なんでここまで練習するのか、目標が見えなかった。先輩たちなどの話の中で、プロを目指す高校に進学して頑張っている人の情報もあるが、社会人となって吹くことをやめちゃった人の話の方が多く伝わってくる。結局、今だけの「お遊び」とまでは言わないが「部活」という域でしかない。そう思っていた。

 しかし、こんなに身近に「仕事と趣味」の両立をしている人がいた。その人がその魅力を楽しそうに話してくれた。また、その人が若くて綺麗で生き生きとして魅力的であった。さらに、イングリッシュホルンを吹かせてくれ、自分に新しい風を吹かせてくれた。何となくではあるが、自分もこの人の様になれたらいいなぁと、イメージできるようになった。
 何のために吹部をやっているのか、時として見失う事が多かった。単に「楽しいから」だけでは先に進む勇気がない。美奈にとって彼女との出会いは、「目標」とまでではないが、なんとなく思い描く将来像を描くことができた。
 まるで、右も左も分からない大海原に漕ぎ出して、ふと見上げた時のポーラスターの様な存在であった。

 美奈は、短い期間に二人のプロ級のオーボエ奏者に出会う事で、ますますオーボエが好きになった。他の楽器ではない、オーボエをしっかりと吹けるようになりたいと思った。

 今は、他の楽器は見えない。

 山田中学のオーボエは、一つ上の先輩がいて2人体制となっていた。とにかく先輩に傍に付いて、全てを学びとろうと思った。また、先輩も非常に優しい子で、面倒を良く見てくれた。1年生の中では、たった一人のオーボエであったが、先輩を始め周りにオーボエ奏者がいることが励みであった。先輩と後輩の関係ではあるが、美奈にとっては特別大切な「大好きな」存在となっていった。


 大好きな先輩、大好きなオーボエ。
 嫌なことは見えない。目に入らない。
 とにかく、オーボエが生活の一部となり、先輩との会話が心の一部となっていった。

かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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