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第06話

アルトサックスへの楽器変更

 美奈たちは、東海大会に行くつもりでいた。地区大会、県大会と終われば、お盆を隔てて、東海大会であった。長野県での開催であった。お盆休みは返上で練習をして、清水マリナートで大ホール練を何度か行い、長野へ出陣するつもりでいた。

 あっけなく終わってしまった。だめ金である。2年連続県大会金賞自体、素晴らしいことである。が、目標は県大会突破であったので、あまりにもあっけなく終わってしまった。突如出来た夏休み。楽しいはずの夏休み、何をやっても面白くなかった。そんな中、親たち保護者が先に動き出した。次のシーズンのための保護者会役員選挙である。9月からは、3年生が引退し、2年生を中心に2年1年のチームとなり、来シーズンの「夏コン」を狙うのである。早々と、来年の話である。

 例年、部長の保護者が保護者会会長を務める習わしであった。しかし、仕事を持っていたり、介護老人を抱えていたりと、なかなか、家庭の事情と、部長をやりたいという子供の思いが連動しない。部長をやりたくても、家庭の事情で諦めた子もいたようだった。来シーズンは、アルトサックスの花愛が部長をやりたがっていたが、花愛の両親は共稼ぎで、両親が保護者会会長をやれないと断言していた。顧問の三田は、必ずしも子供のリーダーと親のリーダーが同じである必要は無いと、保護者会の会長、役員選は別物で良いと宣言をした。とはいえ、自ら苦労を買ってまで会長職をやろうという人は、なかなかいないものである。

 美奈の父親は、楽器を見るのが好きであった。音楽を聴くのが好きであった。上手くそそのかして「楽器をいつでも見て触れるし、演奏会も練習も見たいときに一番見ることが出来る」と言われ、まんざらでもなく立候補し当選したのである。
 しかし、実際はそんなに甘くはなかった。引き継ぎも兼ねて、前役員との事前打ち合わせで、美奈の父親はだまされたことを実感する。山田中学校は、保護者といえども学校への訪問を厳しく規制していて、練習を見に行くことは、ほぼ出来ないし、楽器も触ったりすることは許されなかった。それどころか、演奏会当日は、準備や、受付等のお手伝いを行うので、演奏をゆっくりと見ることは出来ないと言うこと。ただ、なかなか、父親が娘の成長をじっくりと見ることが出来ない中、いつも娘の身近な存在でいられる喜びを感じていたのである。

               *   *   *

 さて、美奈は、今まで練習でまともに1日休みだったことが無かったのに、いざ連日休みとなって、やることはない。だらだらと無駄に時間を過ごしてしまった。たっぷりと時間があったのに、最終日、宿題に追われ、なんと数日遅れで提出するという離れ業をやってのけたのである。そうこうしているうちに、部活招集。当然、部長選挙となる。
 同時に、生徒会も選挙となった。美奈は、オーボエで部長にはなれないことは十分理解していた。でも、何か学校の中心で仕事がしたい。その思いで、生徒会の役員に立候補した。同じ思いは杏も同じであり生徒会役員に立候補していた。吹部からは他にも数人が立候補していたのである。吹部の部長は、予想通り花愛が選ばれた。美奈はフルートパート(フルートとオーボエ)のパートリーダーとなり、杏はトランペットのパーリー、優子はトロンボーンのパーリー、絵里は木低(バスクラとファゴットとコンバス)のパーリーと、それぞれ、各ポジションに着くのであった。

 美奈は、フルートパートのパーリーであるが、そもそも、なんでフルートとオーボエが同じパートかが不満であった。フルートは2年3人、1年2人の5人体制。オーボエは2年1年とで2人である。2人のパートもまた難しいが、どこと組ませるかは難しいところである。実際1年の時は、チューバと組まされたこともあった。ようは少数民族である。フルートの2年のリーダーが、生徒会の副会長をやっていることもあり、誰もやらないので自分がやると決めたようだった。昨年もアルトサックスの3年が生徒会会長であった。どうも吹奏楽部は人の上に立ちたがりである。

 さて美奈は今まで先輩がやってきたように、「はい、みんな集まって!」「パー練はじめます」と言ってみたものの誰も集まらない。だらだら集まってきても、無駄話に花が咲いて音を出す雰囲気ではない。そういえば、入部した時からそんな雰囲気であった。だれも基礎練習をやらない。ロングトーンなど聞いたことがない。お友達の話や昨日のテレビの話、そんなことを楽しくおしゃべりして、「練習しようよ」というと、いきなり「合奏やろう!」。で、まともに音が合うはずもなく、つまらなくなってまた無駄話となる。
 いわゆる中2病である。そもそも2年が揃わない。でも生徒会もあるし仕方が無い。でも1年がなぜ動かない!1年はまともに音すら出ないのに、なぜ練習しない。なぜ言う事を聞かない!何か言っても「だって、オーボエじゃないし...」と。「私だって、好きでパーリーやっているのではない。みんながやりたくないというから、やっているだけだ。嫌ならパーリやってくれ!」と言いたいけど、言えない。

 それには、美奈には嫌な思いがあったからである。美奈が1年の頃、3年生は9人しか残っていなかった。この3年生は、東海大会2年連続出場の2年あとに入ってきたメンバーである。東海大会に行ったメンバーの時の1年生が、3年になったときの新入1年生が、この3年生になったのである。つまり、東海大会の時のことはほぼ何も知らない世代である。
 東海大会出場には、スパルタの顧問がいたことが有名であるが急遽転任となり、とりあえず教頭先生が顧問となった。教頭先生は吹奏楽の経験は全くなく、吹奏楽部はまともな顧問がいない状態であった。それから女性顧問が就くも立て続けに産休となり、ここからの3年間はまともな先生がいない中、部員たちが勝手に部活をすすめていた時代でもある。
 前の厳しかった顧問の時代を「ブラック」という人たちがいるが、本当の黒歴史はこの3年間であろう。「厳しさ」だけが一人歩きし、美奈が1年の時、例えば下校途中であっても先輩を直立で礼をして挨拶をする。どこかのお店で出会っても、同様に直立して一礼する。そんなようであった。
 山田中学校の学区は、山田小学校と、中村小学校の学区が合わさって形成されている。美奈は山田小学校から進学したが、中村小学校から進学する生徒も半分いることになる。その中に、花愛(はな)がいた。勝気でまっすぐな性格の子で、頭で考えるより先に突っ走り、ぶつかって転んでもまた立ち上がる。立ち上がった時前を向いていた方にまた、突っ走る。どんなにぶつかっても、いつも笑顔である。なにより明るい性格であった。

 花愛もまた、入学式の先輩たちの特別演奏「アルセナール」にひかれて、吹奏楽部の門をたたいた。一通り吹いてみて、アルトサックスが気にいった。金色でピカピカしてかっこいい。形が曲線豊かで、かっこいい。先輩が試しにメロディーを、ポロポロロー、と吹いた吹き方がかっこいい。そして、丸く太い音がかっこいい。花愛は、かっこいいことが好きだった。
 金管は上手く音が出なかったが、木管のシングルリードは、比較的簡単に最初の音が出た。クラリネット、サックス、どちらも、音階は上手く出なかったが、「音」はなんとかなった。そこで、担当楽器は、サックスを希望。その中でも、アルトサックスを第1希望とした。
 木管は、やはりアルトサックスが1番人気であった。次点はフルート、テナーサックスといった具合だった。ポピュラーなクラリネットは、ぴかぴかな金属楽器と比べると黒い木製で地味な楽器に映るのだろうか。しかし、山田中学には、学校所有のアルトサックスは5台あるけどまともに使えるのは3台しかなかった。3年生2人いるが、学校の楽器が1台と、生徒所有の楽器が1台。2年生も2人いるが、二人とも自分の楽器を買って使っている。それで新1年生用に2台用意されていた。基本的にアルトサックスは、学年毎ファースト、セカンド2台を定数としている。世代交代を上手くつなげるのならば、学校所有の楽器は、すぐにでも修理して欲しいところではあるが、学校側も予算とか他の楽器の事とか理由があり、修理調整する予定はないようだ。そんなこともあり、確実にアルトサックスをやるには、「自分で楽器を買う意思がある」と手を上げること。そうすれば、来年の新1年生用に学校の楽器を2台用意できる。

 しかし、花愛の両親は、どの程度本気か分からない状態での楽器の購入には消極的であった。まずは、吹ける楽器でやりなさいと、両親に言われ、ひとり悔し涙を流した。
 そして、花愛は、実力でアルトサックスパートを取ると決めた。先輩が使っていない練習用のマウスピースがあるという事で、それを貸してもらい、家に帰ってマウスピースだけでとにかく「音を出す」の練習をした。そして、誰よりもアルトサックスの「音」は上手いと自信を持って、楽器担当オーディションを受けた。

 オーディションは、マウスピースだけで行う。強く、弱く、短く、長く、短く連続等、音そのものは確実に吹けた。しかし、アルトサックスをやりたいという思いが強すぎたのか、時々びーっと、外してしまった。それでも最後まで自信を持ってオーディションを受けた。実力では絶対の自信があった。
 顧問の三田は、花愛ならば、サックス以外のパートでも十分上手に吹けることと、性格からパートをまとめリードしていくことができると判断したが、それはみんなには伝わっていない。 アルトサックス希望のもう一人の子が、楽器を買ってよいと、手を上げた。決まった。楽器が買えないことで、担当させてもらえなかったと花愛は、思った。理由はともかく、花愛はクラリネットパートに回されてしまった。

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 クラリネットを担当することになった花愛は、学校から借りたクラリネットであるが、たまには持ち帰り家で練習をした。
 クラリネットは、実は、アルトサックスと近い関係にある。マウスピースも、リードもほとんど同じもので、吹き方そのものに大きな差が無かった。指使いとかは当然違うが、そもそも、まだろくにメロディが吹けていない花愛にとって、そこは大した問題ではなかった。マウスピースから出る「音」は、なんとかなる。でも、指使いは小学校の時のソプラノリコーダーとは違う。先輩から運指標なる、コピーをもらった。いくつもの丸が縦に並んでいて、ところどころ黒い丸になっている。この黒いところを指で押さえる、まさに、どの穴を塞ぐかを絵で分かりやすくしたものである。
 次に、「ドレミ」を覚えた。クラリネットでは、いわゆる「ドレミファソラシド」とは言わない。ドイツ語で「ツェー、デー、エ-、エフ、ゲー、アー、ハー、ツェー」。これが解らないと、顧問や先輩が言っていることが分からない。「エスの音!」って言われても、「何?」では、先に進まない。花愛は、手の甲にマジックで書き、いつでも口に出してとにかく覚えた。

Clバンドレンマッピ水彩画-min

 まずは、この「ドレミ」もとい、「ツェー、デー、エス」が吹けないと、先に進まない。リコーダーには無かった穴や、キーがたくさんついていて、それぞれ違う音になる。意外と小指を使う。小指がやたら疲れて、ひきつりそうだった。
 マウスピースを口にくわえるのだけど、ついつい力が入り、前歯が痛くなる。ほほがひきつってくる。小指や親指がやたら痛い。そこは、勝気な愛の性格でなんとか頑張れたが、笑顔が減ったような気がした。いや、本人は笑っているつもりだが、ひきつっていたようだ。
 ちなみに、クラリネットの「ド」の音は、ピアノの「ド」の音と、1音ずれている。一人で練習していると気がつかないものだが、他の楽器とか、楽譜をそのまま読むと、音が合わない。これは、クラリネットの基となる音「ド」が、「シ♭」であるからである。俗に、「ベー」と呼ぶ。ちょうど1全音分低いのである。ピアノで書かれた楽譜だと、それを書き換えなければならない。でも、中学生の場合はB-durで書かれた楽譜があるので、それを見て演奏することが多い。まずは、楽譜通りに吹ければよいのである。
 この辺りは、とやかく考えず、こういう物だと思えば良い。そのあたり、細かなことは気にしない花愛は、すんなりと受け入れられたのであった。

 勝気な花愛の性格から、クラリネットも練習を重ね、徐々にクラリネット以外の音階を覚え、メロディーが吹けるようになった。
 ちょうどそのころ、テレビで東京佼成ウィンドというプロの吹奏楽団の演奏を見た。アルトサックス奏者がソロで演奏をした時、しぐさ、指使い、そして丸みのある中低音でのメロディーラインが優しく心に響いた。素早いテンポから、長く響かせる、波の様な音。スポットライトを浴びて光輝く楽器。そして、ソロが終わった時、にこりとする仕草。あれだけ大きな楽団を一人で引っ張っていくかのように見えた存在感。とにかくカッコよかった。全身に電気が走り身震いした。こんな感覚を今まで感じたことはなかった。
 もう、花愛の心には、アルトサックスしか見えなくなった。何が何でもアルトサックスをやりたい。2年になる時、楽器変更でサックスパートに編入したい。その為には、アルトサックスが欲しい。もう駄々っ子のように、両親にアルトサックスが欲しいと常に言って聞かせていた。
 
 夏コンが終わり、3年生が引退する頃、転機が現れた。1年のアルトサックス担当の子が、親の転勤があり、転校することとなった。急きょ1年のアルトサックスが1人欠員となり、学校の楽器もとりあえず2台空くこととなった。顧問の三田も、1枚リード担当者を中心に希望者を募り、オーディションを開催した。
 もちろん、花愛はオーディションを合格し、晴れてサックスパートへ変更出来たのであった。9月になっての変更であり、他の1年生のメンバーとスタートが遅れている。しかし、それを追い目と思わない花愛は、毎日、学校でまた自宅でひたすら吹く練習を重ねた。10月半ばには、初めての地域の演奏会が控えている。それまでには、楽器替えのマイナス面を克服しなければならない。

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 クラリネットからの転向とは言え、そもそも初心者での変更である。特に戸惑う事はなかった。アンブシュア(マウスピースの銜え方)も、ほぼ同じ感覚であった。強いて言えば、楽器が重い。テナーサックスと比べれば軽いものの、クラリネットから見れば、大きくて重い。また、ベルが上を向いていることと、音が大きなこと。また、クラリネットは、穴を指でふさいで音階を出すが、サックスは穴には全て蓋があり、連動しているキーを押すことで、その蓋を開け閉めする感覚が違う事。クラリネットよりも、指使いが少ないのでなんだか逆に簡単に思えた。
 金色にピカピカ輝き、大きく丸い音が響き、アルトサックスは、花愛そのものであった。

Asxイメージ水彩350-min

 9月に楽器替えをし、10月の半ばに、地域の演奏会が予定されている。この1ヶ月半の間に、花愛は、初めて吹くことになるアルトサックスを、人前で吹けるようにならなければならない。しかも、それは自分で望んだことで「無理」という言葉はそこには無かった。
 幸い、サックスの指使いは、小学校の時のソプラノリコーダーと全く同じだ。ただし、基調は、「ミ♭」で、いわゆる「ドレミ」は、「エス、エフ、ゲー、アス、ベー、ツェー、デー」である。したがって、楽譜はE♭-durで書かれている。例えば、ドレミの歌を、ピアノでいえば、「ドー、レ、ミー、ド、ミー、ドー、ミー」であるが、同じ音(実音)を出そうとすると、E♭-durの楽譜では、「ラー、シー、ド#-、ラ、ド#-、ラー、ド#-」と書かれていることになる。
 そういうものだと思って、ソプラノリコーダー通りに指を動かせばそれで音が合うのである。ややこしいので、吹奏楽では、出ている音を「ドレミ」だと分からなくなるため、ドイツ語の「ツェー、デー、エー」と呼ぶ。
 指使いは簡単。音も出る。後は、ひたすら何度もメロディーを吹いて、覚えるだけ。とにかく、基礎練をみっちり行い、音が安定したら、メロディーを吹く。メロディーが頭に入り、暗譜で吹けるようになって、初めて他の音が聞こえるようになってきた。パート連は、クラリネットと合わせる事が多かった。とにかく自分の音を他の楽器に合わせることを大切に思った。

Asxルソーマッピ水彩画350-min

 アルトサックスの音色は、ソロの時、また合奏の時と、イメージが変わる。他の音が聞こえるようになると、花愛はそう感じることができた。高音でクラリネットと一緒に伴奏で細かい音符を吹いたりすると、違ったイメージに感じられる。中低音の丸く優しく且つスピード感があり、圧倒的な存在感も魅力であるが、合奏の際、伴奏などで入った時、他の楽器を引き上げるような感じ、ボリューム感。そんな緩急自在な感じが好きになっていった。
 そして、まだ音を追うので精いっぱいの花愛を優しくも力強く引っ張ってくれる、先輩の演奏。常に横にいる安心感。花愛はアルトサックスに魅了され、先輩やプロの奏者の演奏がめざす目標となり、日々の厳しい練習など、なにも苦しくはなかった。はやく先輩のようになりたい。その為には自分を追い込んで、手を抜かず練習していった。

 花愛は正直なところ、メロディーを追うのが精一杯であった。この1ヶ月半は、とにかく、みんなと同じ合奏ができるところまで、自分が練習することだった。
 まず、ロングトーンをやった。とにかく長く一定の音を出す。呼吸法、唇の開き方、全ての基本だと思った。ある程度安定したら、チューナーを出し、音を合わせる。疲れてくると音が変わる。一定の同じ音を長く出す。これが結構難しかった。
 次にメージャースケールと呼ばれる練習をした。「ドレミファソラシド・ドシラソファミレド」をいろんな基調で吹く。そもそも、基調が「ミ♭」なので、半音に慣れなければならない。どこから吹いても指がすらすら動けるように何度も練習した。
 そして、タンギングと呼ばれる、同じ音を、口を離さずに、「ド、ド、ド、ド、ド」と吹く練習。花愛は、とにかく、毎日、毎回、この3つの基礎練を欠かさずやった。つまらない、面白くない、すぐメロディーを吹きたくなる。その気持ちを抑えて、とにかくこの地味な練習を欠かさなかった。他の子たちの中で、つまらないからと、いきなりメロディーを吹きだす子もいた。話に夢中になり、あわててパート練から始める子もいた。でも、今の花愛には、他の子のことを気にする余裕などなかった。スタートが遅い分、がんばるしかなかった。

 そして、地域の演奏会、ふれあいフェスティバルに望むのであった。

かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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