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第09話

楽器との出会い

 美奈は、オーボエ担当になる時「楽器の購入意思あり」と答えていた。

山田中学校には、学校の備品としてヤマハカスタムが1本あり、後は誰かの寄付であろう、古いマリゴストラッサが2本ある。ヤマハカスタムは現3年生が使っていて、マリゴストラッサのうち1本はなんとかなるが、もう1本は調整のしようがなく、いくつか動かないキーがあるようだ。主力のヤマハカスタムを調整したりする場合は、他校から借りて穴を塞ぐ状況であった。そのため、おそらく「オーボエを買う意思」がなければ、オーボエの担当ができなかった可能性もあったであろう。

 顧問からは、買う時は「声をかけて」と言われていた。楽器屋との付き合いもあることから、多少は安くできるという事と、「間違っても、ネットでポチッは止めてください」と釘を刺されていた。とは言うものの、学生用というか入門用のマリゴルメールで、50万円。ヤマハの樹脂製スタンダードで、45万円。ちゃんとした物を、と言われると、人気のマリゴ901ベースモデルで、126万円。ヤマハカスタムで91万円。いくら良い音がすると言われて「はいそうですか、ではこれをください」と言える金額ではない。

 美奈の父は、美奈の心配をよそに、ネットで掘り出し物を探す毎日であった。

 木管楽器は、「グラナディラ」と呼ばれる、「アフリカ黒檀」という硬い樹木から切り出した管を使う事が多い。通常の木材は水に浮くが、このグラナディアラは水に沈む。天然の木材では最も比重の思い部類である。音とは空気の振動であり、振動が当たると反射をするとともに当たった素材も振動する。作用反作用である。「音」に焦点を当てればこの共振は「音」のエネルギーを吸収してしまうのであまり好ましくはない。そこで、振動エネルギーよりも遙かに重い素材を使うことで共振を減らす事が音響機器では重視される。木管とは元々はこのような木材で作られていたが、加工の難しさなどで金属に変わった例(フルートなど)もある。近年この樹木の良質な物が減少していることと、加工が硬くて難しいことで、金管より価格が高い原因である。最近では、樹脂製または合成木材を使う事でコストを下げているモデルもあるが、音質に関してはまだまだ一般的ではなさそうだ。
 ただ、この硬い木はちょっとしたことで割れたり欠けたりする。穴の周囲や、管の内側に割れがはいったり、どうしても自然に歪んできたり、まさに天然の物で、同じものは二つとないとまで言われる。そのために「品質管理のちゃんと出来たメーカーで」という事になる。
 また、中古品は、前の所有者や保管過程でどのような管理がされていたか不透明である。見た目で大丈夫だからと言って、内部までは良くわからない。 木質そのものに悪い影響があると、その場では良くても、数年後に不具合が出てくることも、普通にあるということだ。
 金管は、ビンテージ物として逆に塗装がはげたりした方が人気があったりするが、木管は、ビンテージ物の方が良い材質を使っていたからといっても、必ずしも良いとは限らない。また、修理調整、再メッキには、もう1本買える値段がかかると言われている。それでも、マリゴ901クラスで調整済だと、70万円とかするので、なるほど中古でも安くならないという事である。

               *    *    *

 アンサンブルコンクールのオーディションが終わった時、美奈は、顧問の三田から「オーボエの中古があるけど、見てみるか?」と言われた。「先生が薦めるのだから変なものではないだろう」とは言え、いくらするかは、分からない。でも、やはり変な物を買うよりはという思いで、「見る」こととした。

 ある時、顧問から、「学校に来てください。いま、その楽器があります」という事で、早速、山田中学校に両親と出かけた。学校の小さな会議室の様な場所に案内され、顧問が黒いケースを持ってきた。開けて見ると、ほとんど黒に近い濃い茶色のベルと、ほぼ真っ黒のボディー。そこに、ピンクゴールドに光る、キー、ポスト、レバー、連動棒がきゅっと締まって素晴らしく上品で優しくも可憐な楽器が収まっていた。ヨーゼフという日本のメーカーだ。
 材質はグラナディラらしいが、ベル部のカラーは多少赤みを帯びていて、それがピンクゴールドとまぶしくコントラストを醸し出している。

ヨーゼフベル水彩画350-min

 恐る恐る吹いてみることに。美奈は、一番お気に入りのリードを取りだし、吹いてみた。

 違う。明らかに、違う。

 今まで練習に使っていた、くたびれたマリゴストラッサと、音自体が違う。

 まだ、初心者で、ろくにメロディーが吹けるわけでもない美奈の「音」でさえ、違う。
 高音域はどうしても平べったい2枚リードの特徴があるものの、透明度も高かった。でも、徐々に音を下げていき、最低域の音階になると、まるで、ホルンを彷彿させるような豊かな響きが広がり、自身の体にその空気の振動が伝わってくる感覚だった。
目の前の机に空気の振動が伝わっている。周り全体が振動して響きが重なっているような感じであった。

 美奈も、両親も、一発で惚れてしまった。

 さて、音は良いとして程度を良く見るために、父がキーや管の状態を隅々まで細かくチェックし始めた。分かりもしないのに、と思いつつも、父がうっかり楽器を机にでもぶつけやしないかと、やきもきしながら、父の答えを待った。父は、「ピンクゴールドのメッキは、非常に柔らかく薄いので、通常使用品であれば必ず爪が磨れた跡や、磨きすぎて薄くなっていたりするものだ。しかし、これには全く見当たらない。ピンクゴールドだけに、簡単に再メッキするようなことも無いだろう。また、木管部も適度につやがあり見た目では欠損やゆがみは見られない。また、接合部、穴と蓋の木部の角がちゃんとあり、使用による角が丸くなるなどの状態は見られない。というか、まずほとんど使われていないとしか思えない、素晴らしい状態だ」と言って絶賛した。
 顧問の先生も、「ほとんど使われていないようで、まだ、音が硬いぐらいだ。状態は良いが、一応調整に出しておけば、もう少し良い音になるだろう」という事であった。

 持ち主の家族が、吹部の先生仲間に「売りたいので誰か紹介して欲しい」と依頼していたもので、顧問の三田が手を上げたといういきさつであった。三田もこの楽器そのものを見るのは、今日が初めてであった。顧問の薦めという事もあるが、それ以上に、美奈はこの楽器そのものに一目ぼれであった。そしてそれは、家族みんなが同じ思いであった。

 さて、そうはいっても、価格交渉はお互いで、という事であった。
 このオーボエは、ヨーゼフのBGS-2というモデルで、新品だと100万円もするモデルである。半額としても50万円。これだけ程度が良ければ、もっとするのだろうか。50万出すのであれば、新品のマリゴルメールが買える。もちろん、物はこちらの方が比べ物にならないほど良いのは、素人の父でもわかる。相手がいくらを提示してくるかが気がかりであった。

 提示額は、予想よりはるかに安かった。「えっ、そんなんでよいの?」という額であった。それ自体は、美奈と父にとっては嬉しいことであるが、「なんで?」と、逆に心配になった。
 それには、こんなドラマが隠されていた。

 数年前、オーボエ担当だった、とある中学2年の女子学生が、その部活の部長になることとなった。部長になるんだったらと、先生が強く薦めたのがこのヨーゼフだった。とは言え、100万円もする物だ。両親は、生涯の趣味になるのであればと思い切って買ったそうだ。もちろん、その女子学生もがんばって、自分の演奏も、部長として部活の運営もがんばったであろう。翌年の夏コンは、見事県大会優勝、東海大会出場を果たしたそうだ。その記念すべきオーボエであった。
 しかし、その後、このオーボエが吹かれたことは無かったようだ。高校では吹部に入部しなかったようだ。そして大学へと進学し「もう2度とオーボエは吹かない」とその女子学生は決めたそうだ。
 途方に暮れた両親は、販売店や中古買取楽器店等いくつか回ったらしい。ところが前述した通り、部活とは言え、素人が使用、保管した木管楽器の買い取り価格は想像をはるかに下回る、二束三文であったそうだ。あまりにもそれでは、という事で、吹奏楽の先生たちに助けを求めて、誰か、オーボエを欲しがっている後輩がいないか探してほしいと頼んでいたという事を知る。先方も、いまさらこの楽器を高く売ろうという気も無く、むしろ「オーボエをがんばりたいという子の支えになるのならば」と言うことで、「買って大切にしてもらいたい」という思いの価格だという事だった。

 もちろん、その価格に不満などない。むしろ、その女子学生の思いと東海大会出場の経験を持つこのオーボエの思いを、大切に繋いでいきたいという事で購入することとなった。

 後日、調整が済んだオーボエが届き、無事に美奈の手中に収まることとなった。
 美奈は嬉しさと、楽器に対する思いとで、絶対に他人に触らせようとしない。父が興味深く「ちょっと見せて」と言っても、「だめ!」と、ケースにしまってしまう。オーボエの手入れ方法の書かれた小冊子を入手し、お手入れキットを買ってきて、いそいそ磨き始めた。
 「ピンクゴールドのメッキは、柔らかくて薄いから、磨きすぎると剥げちゃうよ」と父が注意しても、「分かってる!」と言って、隠してしまう。毎日の練習が、楽しくて仕方がなかった。

ヨーゼフトリルキー水彩画350-min

 父は、万が一の時のことを心配し、ヨーゼフに問い合わせをした。中古で入手したけど、万が一の時、修理などできるのかという事が気がかりだった。ヨーゼフさんは、モデル製造番号を照会し、「確かに弊社が販売したものであるので、中古であっても、ちゃんと修理、調整しますよ」と、快く引き受けてもらえた。その店員さんが、「覚えています。まっすぐ深い音が出せる良い女の子でしたね。そうですか、もう、吹かなくなっちゃいましたか。」残念そうに答えてくれた。

 楽器とは、単なる商品ではないという事を、父は初めて知った。楽器を作る人も、楽器を売る人も、また、それを買って使う人も、その楽器を通じて繋がりを持つ「運命の絆」のようなもので、それぞれの人生、思い、すべてを受け継いで、それが「音」となって響いていくものだと気がついた。
 このヨーゼフは、東海大会の経験がある。この楽器に引っ張ってもらおう。このヨーゼフは、前の所有者の悔しさを知っている。だからこそ、美奈はその悔しさを受けついで、それを乗り越えてその先に向かっていけるだろう。楽器と、演奏者とはそういう関係なんだろうと、父は思った。

 そして、今日も練習に励む、美奈とヨーゼフであった。

かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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