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第10話

北海道の冬

 北海道の冬は、想像を絶する寒さである。「寒い」は、北海道では「しばれる」という。でも寒いというより、痛いという感覚の方が解るかも知れない。-25℃という寒さは、吐く息が凍りつく。口をあけて息をすると、唇や口腔内が凍りつき痛く感じる。仕方がないので、マフラーなどを口元に巻いて呼吸をするが、そのマフラーが凍りついてくる。
 
 北海道は、そもそも、夏が短い。夏日と呼ばれる日は、10日もあるだろうか。お盆が過ぎると、一気に冷え込み暖房が必要となる。9月の初旬に大雪山などの高い山で初雪が観測されたというニュースを聞くころは、大自然が色づき、10月半ばには、いきなりドカンと雪が降り、あわてて冬支度が始まるようだ。気温は段階的に下がってきて、体が慣れるのに戸惑っているのが11月。12月はもう真冬で、水道管の凍結や、アイスバーンによる交通事故などがみられるようになる。季節感でいえば、ちょうど富士山山頂を想像すれば、遠からずそのイメージ通りであろう。
 年が明けると、気温は最低気温をただき出していくが、そのころは体が慣れてくる。また、日中-5℃位にあがると、道路の表面のアイスバーンが溶けだし滑りやすくなるも、夕方から翌朝までは、きゅっ、きゅっと、独特な音で雪を踏みしめるようになり、滑らなくなる。雪はさらさらとなり、雪が降っても傘は要らない。夜は-20℃を下回るようになり、居酒屋でお酒を飲んでも、帰り着くと、酔いから醒めている。翌日の昼間-10℃位まで気温が上がってくると、汗をかき「今日はぬくいね」と会話が始まる。

 道東の冬はさらに厳しく、連日-20℃以下となると、道路がだんだん透明になってくる。雪が車によって踏み固められると、白い氷状になる。この表面が溶けて夜再凍結するので、「アイスバーン」と呼ばれる状態になる。また、除雪後の道路のわだち部分が溶けて、再凍結すると、薄い氷の層ができる。これをブラックアイスバーンと呼び、濡れていると思ってうっかりブレーキを踏むと、完全に滑ってしまい、非常に危険である。ここまでは、どこの雪道も同じである。
 道東はここから先がある。道東は日中、ほぼ快晴の日が多い。快晴の日は太陽の光のエネルギーが強く、仮に気温が-10℃であっても、アイスバーンは少し溶ける。そしてそんな日は放射冷却現象で、夜は-25℃以下となり再凍結をする。この繰り返しをさらに車の重さの圧力を加えることで、だんだんと、1枚の厚い透明の氷の板になる。氷に荷重をかけるとそのエネルギーでわずかに氷が解ける。しかしそもそも温度が低いので、すぐ再凍結する。分子レベルの話だが、それが繰り返されると、完全にアスファルトまで1枚氷となると、日中太陽の下で見ると薄い青緑、エメラルドに輝いて見える。完全なアイスリンクである。このエメラルドの層の上に、粉雪が吹きだまっている。しかし、この氷、滑らないのである。むしろ、きゅっと、タイヤや、靴底がかみ滑らない。なぜ氷が滑るかといえば、靴やタイヤのわずかな熱で、表面の氷が解けて、その水の層で滑るのである。-25℃では、簡単に氷が解けない。むしろ食いついてくる。よく冷えた乾いた氷を指でつまむと、氷が指に食いつくことがある。これが道東である。
 この現象を、吹奏楽で言うと、単純に楽器が凍りつくという事になる。さらに、冷たい金属製のマウスピースをうっかり唇に付けると、唇が貼りつき、あわてて外そうとすると、出血を伴う事となる。では、吹奏楽の活動は、冬は休止かといえば、そんなことはない。多少の雪が降っていれば、屋外演奏だってやってのける。そこが道産子の根性だ。
 優子は、そんな道産子であった。

          *    *    *

 西町中学校は、もともとそう大きくはないので、B編成(30名以下)であった。それでも、道東地区では優秀な学校で、町上げての応援となる。とはいえ、運動部は冬場練習するところが無いが、文化部はその分、気合いを入れて練習することとなり、北海道自体の吹奏楽の層が厚く、競合が多い。何度も北見地区大会に挑戦するも、なかなか、夏コン全道大会へコマを進めない状況であった。しかし、西町小学校から続く、吹奏楽の流れもあり、近年始めたマーチングでは、なんと全国大会連続出場校となっている。
 夏コンが終われば、町の主催の夏祭りでのマーチに始まり、9月のマーチング全道大会突破、10月には全国大会という忙しいスケジュールで活動している。そんな9月は、冷たく突き刺すような雨が降り、また、曇りの日も多く、すっきりしない月であった。

 北海道は、静岡と比べると、1時間半ほど1日が早い時間で進んでいる。それだけ、東にあるという事である。また、冬は特に日の高さが低く、10月を過ぎると、昼ご飯を食べ終わると、既に夕方となる。15時には自動車はライトを付けないと走行できなくなるが逆に朝は5時ごろから明るくなる。7月ごろの朝3時過ぎると明るくなってくる時から比べると、ずいぶん朝も遅くなり、朝練の時間はまだ薄暗かったりする。既に時折雪がが降ることもあり、ロングトーンの練習は、外ではやりづらくなっていた。

 優子を始め朝練のメンバーは、音楽室前の廊下に集まり、そこでロングトーンを始めていた。それよりなにより、マーチングの練習。体育館での練習とはなるが、この体育館が寒い。暖房が利くようになるころには、練習が終わる。
 歩きながらのトランペットは、リズムを取るのが難しかった。口元がずれることもあった。合奏コンクールとは違った難しさがある。トランペット、トロンボーン、スーザホンが音を作るので、体力勝負であった。優子は、動きがそろっていることが最も重要に感じた。強く一定の息を吹き込みながら、リズムを合わせて移動する。それでも、ピシッと決まった時は、気持がよかった。その気持ちの良さが忘れられず、また動きだす。体が自然と動いていくようだった。

トランペットベル油彩350-min

 サンバのリズムがあった。いままでのリズムと違い、体を乗せることが難しかった。
 「ズタタ、ズタタ。」「ズタタ、ズタタ、ズタタ。」「ズタタ、ズタタ、ズタ、ズタ、...?」「ズタタ、ズタタタ。ズタタ、ズタタタ。」
 6/8拍子、9/8拍子、7/8拍子といった具合で、どうリズムをとるのか、体が覚えてくれない。体が覚えなければ、フィンガリングも、息継ぎもすべてがそろわない。これで演奏しながら歩くとなると、なんだわからなくなる。
 優子は開き直った。理屈じゃない。踊ろう!練習中でなくても、教室でも廊下でも、登下校の時でも、鼻で歌いながら踊りながら歩いていた。周りから見れば、たいそう滑稽だったであろう。教室の移動の時、一人踊りながら移動して別の教室に向かうと、途中、先生に怒鳴られた。でも、優子にはその怒られている怒鳴り声も、パーカスのリズムの中に聞こえていた。北海道の雪の中で、サンバのリズム。吹雪いてくれば、風の音もサンバのリズム。THE BOOM の名曲「風になりたい」を口ずさみながら登下校するのであった。

 12月の吹雪の中、遠軽駅前でのイベントがあり、-10℃の中、マーチを吹くこととなった。マウスピースは冷たく、唇を付けると貼りついてしまった。トロンボーンはスライドが、がちがちとなり上手く動かない。トランペットもピストンの上下が遅くなり、演奏についてこれない。また気温が下がると音が低くなり、楽器が温まってくると音が少し高くなる。さらに寒くて体が硬くなり早く終わりたいので、曲の速度も気持ち速くなる。そもそも唇がかじかんでうまく力が入らない。吹いていれば多少楽器も温まってくるが、ちょっと休むとすぐ冷えてくる。演奏ごと管内の湿気を取らないと管内が凍りついてくる。木管もリードが凍ると音にならないので、温めるのにあの手この手で必死であった。指は赤くなり耳は千切れそうに痛い。そもそも指がかじかみフィンガリングどころじゃない。ほぼ凍傷寸前。演奏が終わると楽器を車に積み込んで逃げるように走って帰った。
 そのあと学校に戻りロングトーンの練習となったが、急に暖かな部屋に入ると極度の睡魔が襲ってくる。優子はペットを吹きながら眠くなった。いや、寝てしまった。

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 年が明けると、-20℃を下回るようになり登下校がきつくなる。朝シャンをすませ髪を三つ編みにして慌てて登校すると、髪の毛は完全な棒となっていた。お弁当の時うっかり廊下に出しておくと、凍り付いて食べれなくなる。
 キンキンしばれた朝、いつものように家を飛び出すと、キラキラと粉が待っているようだった。ダイヤモンドダストである。空気中の水分が凍り、朝日を浴びて輝いているのである。こんな日は空は真っ青の快晴。雲一つない朝は放射冷却で気温がかなり下がる。そして、日の出直前から日が昇る瞬間、過冷却だった空気の中の水分が、わずかな日の光のエネルギーで瞬間的に凍り付く(昇華)現象である。そして、そのまま太陽の方に向くと、まれにサンピラーが見えることもある。そのダイヤモンドダストの乱反射した日の光が、まるで光の柱のように見えるのである。

 こんなことが、スキー場でなく、町中で見ることができる。そんなときは、空にたいてい、オオワシが飛んでいる。くちばしが鮮やかな黄色で全身真っ黒のな羽で覆われているが、肩と尾が真っ白である。尾が白いので、オジロワシとよく間違えられるが、オジロワシは、全身が茶色の羽で尾だけが白い。オオワシよりも一回り小さく、トンビと間違えそうになる。さすがに、オジロワシが町中で見られることは少ないようだ。彼らは、隣町の紋別に流氷が流れ着く頃、流氷に乗りロシアから飛来するらしい。
 
 極寒の町、遠軽の朝は、以外と賑やかであった。

 先輩たち西町高校吹奏楽部も、全道大会連続出場、全国大会も何度も出る伝統校である。この年の静岡県浜松市で行われる、全日本高校選抜コンクールに、18年ぶりの出場を果たすこととなり、遠軽西町は、街上げての盛り上がりを見せていた。

かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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