高等学校吹奏楽は、いわゆる「夏コン」以外に、全日本高等学校吹奏楽選抜大会という全国大会が浜松で開かれている。同様に横浜でも開かれていて、高校吹部にとっての3大大会と言われている。日本高等学校吹奏楽連盟の主催だが、夏コンの全日本吹奏楽連盟も後援していて、さらに、静岡県下の多くの企業や楽器の「ヤマハ」まで、吹奏楽を盛り上げようと、後援、協賛を集めている「全国大会」である。
夏コン、アンコンは、厳格な規定の基に評価する「コンクール」であるが、「高校選抜」は、「のびのびとした雰囲気の中で、吹奏楽曲の研究演奏、各地方の特色ある曲等々の演奏をすると共に、相互の親睦交歓の中で、参加高校生が音楽を通じて切磋琢磨することを目的とする」と規定され、平成元年よりスタートし、今年で29回目を迎えた歴史のある大会でもある。
コンクールは、課題曲、自由曲合わせて12分で、編成はA編成(50名以下)の吹奏楽編成であり、楽器は、木管、金管、パーカスで、コントラバスは認めるが、チェロや、エレキベースは不可である。対して、高校選抜は、曲は2曲以上で15分以下であるが、概ねであり、時間超過であっても失格としない。編成は制限なし。少人数から100名超でも自由である。楽器もほぼ無制限で、ポリバケツもOK。ステージは、客席も使用可能。ただし、移動舞台を使って入場する際、校歌を演奏することとなっている。演奏方法は自由で、吹奏楽でも、ピアノでも、独唱、合唱、自由である。
というように、とにかく何でも自由である。「楽しまなければ、音楽じゃない」まさにそれを実現している「大会」である。
美奈は、両親の知り合いの高校が出るという事で、浜松まで見に行くことになった。浜松は楽器の街。ヤマハ、カワイなど、吹奏楽でもなじみのメーカーが本社を構え、駅そのものがショールームの様な雰囲気である。入場券は買ったものの、席は自由席。少しでも良いところでと、朝早くから長蛇の列であった。それでも、会場のアクトシティーホールは、座席数もあり、全国大会の出来る会場であった。開場と共に2階席へと走るが、既に満席。その上の3階席へ誘導された。吹奏楽は、音が上へ飛ぶ。また、奥行きがあり、ステージの前後の位相が立体感のある音場を作るので、1階席よりも2,3階の方が音が良い。特定の楽器の音を聞きたいとかでないのであれば、上段階がお勧めである。
アクトシティー油絵350-min
さすがは、音楽の街、浜松のホールである。袖の座席の作りにしても、どこか外国のコンサートホールと思えるぐらいに作りこまれていた。さぞかし、ここで演奏するのは気持ちがよいだろうと思えた。
ステージの両脇に裏袖があり、移動舞台が両側に設置してある。演奏の順番で、左右の舞台にあらかじめ配列し、まずは、右の袖から移動して演奏。終了とともに、右へ収納されると、今度は左の袖から次の奏者が出てくる。この奏者が演奏している間に右の袖では、次の奏者の準備をする。この装置のおかげで、吹奏楽大会の一つの欠点でもある、ステージでの奏者入れ替えがスムーズであるとともに、スタートは、袖から、校歌と共に演奏しながらステージ中央に移動し、演奏終了後は、逆に好きなマーチなどを演奏しながら袖に帰って行くのである。この演出が結構良くて、美奈は感動した。また、他人の学校の校歌ではあるが、かっこよく感じた。校歌という「曲」がこんなにかっこいいものだろうかと改めて思った。
そして、全国選抜のえりすぐりの演奏を聴くこととなる。
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夏コンの課題曲や、有名な自由曲から、炭坑節など、地方豊かな曲まで登場する。もちろん、演奏者以外に、高校生のにわか踊り子、和太鼓が始まり、お祭り騒ぎである。突然、客席後方から楽隊が演奏しながら入ってきたり、プロ顔負けの高校生ダンサーによるダンス。第1部、第2部でのステージでの衣装早着替え、パーカッションがなんと、ゴミ用のポリバケツをバチで叩きだし、其の蓋でシンバルの様に叩く始末。都立杉山高校は、全部員120名で押し寄せての音の大合奏。少々外れた音も聞こえないわけではないが、それはそれ。なんだか楽しそう。
極めつけは、福井商業大学付属武田高校。なんと、女の子が客席に展開したと思ったら、「あれぇ、みんな踊りたくなりませんか? ほら、恐竜ダンスが聞こえてきますよぉ♪」と、踊りだし、客席総立ちでみんなで踊ってしまったり。まるで、各校の定期演奏会ののりだ。とても全国大会とは思えない。
それまで、硬いイメージだった演奏会や大会。根底から覆されたようだった。もちろん、ただ楽しんで演奏しているのではなく、ちゃんとしっかりとした「音」でありタイミングなど全てがよく練習されたものである。「選抜」だけあって、これが全国のトップクラスの演奏であることがよくわかった。
地方の中学レベルから見れば、圧倒される「文化」の違い。聴く音、見る演出、全てが別世界かのように、楽しくまた驚きであった。
開場を見渡すと、中学生、高校生らしき人が多くいる。制服の子から私服の子から、でも真剣に見ていた。ノートを取っている人もいた。明らかに「楽しんでいる」のではなく、「研究している」様だった。地元の中高生だろう。
なるほど、こんな大会が、30年も前から毎年開かれているのだ。浜松市民は当たり前であり日常なんだ。でも静岡から来た美奈は、そんな大会があることすら知らなかった。友達に言っても誰も知らなかったし、浜松まで電車賃を払って聴きに行こうとする人はいなかった。浜松までの電車賃も、けっして安いものではない。朝早く並ぶこともあり、両親と始発の新幹線に乗って出かけたが、中学生の小遣いで移動できる金額ではない。また入場料も2,000円と、通常の定期演奏会は入場料を取っても500円程度を考えると、安くはない。入場料と新幹線代に昼食も入れれば、6,000円を超える金額である。親に相当ねだらないと出てこないし、また、女子中学生一人での浜松までの移動は、ちょっと難しいかもしれない。
これでは、浜松にかなわない。これだけ環境が違うんだ。悔しいとかのレベルではなく、あきらめにも近い感情が湧いてきた。せめて、パートリーダーでも、一緒に聴いてくれればと心に思った。
詳しく調べると、それだけではないようだ。
大会は日曜日だが、前々日、金曜日から宿泊を伴って各高校が入ってくるようだ。確かに全国から来るのだからその配慮は正しい。そして浜松市内の中学、高校と合同演奏会などをやったり、前日は浜松駅前の特設会場にて、プレ演奏会を行う。これは、各団体20分あり、大会で演奏する曲でなくても良く、自由である。そんな楽しい、全国トップクラスの演奏を、浜松駅前で無料で披露する。この事前宣伝活動が、30年も前から行われているのである。
ここで知り合った高校吹部同志のコミュニケーションは、大会で終わることなく、相手の地へ遠征にいってのアウェーでの合同演奏会をやったりしている。浜松の高校は、全国トップクラスと合同練習、合同演奏会を何度も経験をしているのである。また、中学生もその練習会に呼ばれ、合同で練習しているのである。全国トップレベルの練習を経験しているのである。
目標は顧問の先生ではなく、その先の「全国」である。そんな感じを受け取れた。顧問の先生に指導されるがままに、練習をするのではなく、目標に向かうために必要なことを顧問の先生から指導を受ける。受動的ではなく、積極的思考である。顧問の先生が好きだからこの選曲になったのではなく、この曲をやることで、こんな技術や感性が育ち、それが次のステップに進む重要な要素なんだと気が付き練習をする。この気持ちの持ちようで既に大きな差が生まれていく。
そんな思いを、中学生のうちに自然と学んでいるのである。
だから、浜松は強いんだ。これは、敗北なのか、挫折なのか。まだ、浜松と戦っていないのだが、戦う前にすでに格の違いを見てしまったような感覚であった。
「めざせ、!東海大会」という事は、浜松を抜く。
この街全体が、吹奏楽をバックアップして盛り上がっている。その浜松を抜くこと。これができなければ、いつまでも県大会を突破できない。
それは、従来通りのことをやっていたのでは、絶対にできない。何をしたらよいか、具体的には見つからないが、分かっていることは、今までと同じではだめなこと。
それは練習だけではない。みんなの心、やる気、そして、自分の両親、先生、全てを変えていかなければならない。
それができるのは、美奈しかいない。なぜなら、美奈がこの大会を見て初めて気が付いたのだから。
できないからやらない、ではない。何ができるか、できることをやる。
それに気が付いた、美奈であった。時に3月の26日。1年生の最後の思いであった。
週が明ければ、2年生となる。そして、新1年生が入ってくる。何人入ってくるだろうか。A編成維持するために最低25名は欲しい。夏コンまでに何をしようか。東海大会をめざすのであれば、今までと同じではいけない。大好きな先輩たちと最後の駆け上がりだ。やり残したくはない。そう心に誓ったのであった。
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実はこの浜松のアクトシティーホールに、北海道から優子が見に来ていた。北海道遠軽町の西町高校が今回出場しているからだ。遠軽町は、吹奏楽に力を入れている。西町小学校も、西町中学校も、そして西町高校も、吹奏楽部が活躍していた。西町中学校でトランペットを吹く優子も、当然、西町高校吹奏楽部に行くつもりでいた。西町高校吹奏楽部は北海道では有数の吹奏楽部で、全道大会にもよく出場しているが、全国大会は久しぶりのエントリーだった。西町高校OB・OGが、全国からこの浜松に集結しているらしく、その先輩たちに連れられるかのように、会場に向かったのである。
しかし、本当の理由は、それだけでは無かった。西町高校の演奏を聴く、優子の眼は遠くを眺め、涙でぼやけていた。周りのOB・OGが「良かった!すごかった!」で喜んでいる中、ひとり席を立ち開場を立ち去るのであった。
かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。
※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎氏 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。