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第01話

初めての後輩

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 かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

めざせ!東海大会♪ シーズン2

 美奈たちは、東海大会に行くつもりでいた。地区大会、県大会と終われば、お盆を隔てて、東海大会であった。長野県での開催であった。お盆休みは返上で練習をして、清水マリナートで大ホール練を何度か行い、長野へ出陣するつもりでいた。

 あっけなく終わってしまった。だめ金である。2年連続県大会金賞自体、素晴らしいことである。が、目標は県大会突破であったので、あまりにもあっけなく終わってしまった。突如出来た夏休み。楽しいはずの夏休み、何をやっても面白くなかった。そんな中、親たち保護者が先に動き出した。次のシーズンのための保護者会役員選挙である。9月からは、3年生が引退し、2年生を中心に2年1年のチームとなり、來シーズンの「夏コン」を狙うのである。早々と、来年の話である。

 例年、部長の保護者が保護者会会長を務める習わしであった。しかし、仕事を持っていたり、介護老人を抱えていたりと、なかなか、家庭の事情と、部長をやりたいという子供の思いが連動しない。部長をやりたくても、家庭の事情で諦めた子もいたようだった。来シーズンは、アルトサックスの花愛が部長をやりたがっていたが、花愛の両親は共稼ぎで、両親が保護者会会長をやれないと断言していた。顧問の三田は、必ずしも子供のリーダーと親のリーダーが同じである必要は無いと、保護者会の会長、役員選は、別物で良いと宣言をした。とはいえ、自ら苦労を買ってまで会長職をやろうという人は、なかなかいないものである。

 美奈の父親は、楽器を見るのが好きであった。音楽を聴くのが好きであった。上手くそそのかして、楽器をいつでも見て触れるし、演奏会も練習も見たいときに一番見ることが出来ると言われ、まんざらでもなく、立候補し、当選したのである。
 しかし、実際はそんなに甘くはなかった。引き継ぎも兼ねて、前役員との事前打ち合わせで、美奈の父親はだまされたことを実感する。山田中学校は、保護者といえども学校への訪問を厳しく規制していて、練習を見に行くことは、ほぼ出来ないし、楽器も触ったりすることは許されなかった。それどころか、演奏会当日は、準備や、受付等のお手伝いを行うので、演奏をゆっくりと見ることは出来ないと言うこと。ただ、なかなか、父親が娘の成長をじっくりと見ることが出来ない中、いつも娘の身近な存在でいられる喜びを感じていたのである。

               *   *   *

 さて、美奈は、今まで練習でまともに1日休みだったことが無かったのに、いざ、連日休みとなって、やることはない。だらだらと無駄に時間を過ごしてしまった。たっぷりと時間があったのに、最終日、宿題に追われ、なんと数日遅れで提出するという離れ業をやってのけたのである。そうこうしているうちに、部活招集。当然、部長選挙となる。
 同時に、生徒会も選挙となった。美奈は、オーボエで部長にはなれないことは十分理解していた。でも、何か学校の中心で仕事がしたい。その思いで、生徒会の役員に立候補した。同じ思いは杏も同じであり生徒会役員に立候補していた。吹部からは他にも数人が立候補していたのである。吹部の部長は、予想通り花愛が選ばれた。美奈はフルートパート(フルートとオーボエ)のパートリーダーとなり、杏はトランペットのパーリー、優子はトロンボーンのパーリー、絵里は木低(バスクラとファゴットとコンバス)のパーリーと、それぞれ、各ポジションに着くのであった。

 美奈は、フルートパートのパーリーであるが、そもそも、なんでフルートとオーボエが同じパートかが不満であった。フルートは2年3人、1年2人の5人体制。オーボエは2年1年とで2人である。2人のパートもまた難しいが、どこと組ませるかは難しいところである。実際1年の時は、チューバと組まされたこともあった。様は少数民族である。フルートの2年のリーダーが、生徒会の副会長をやっていることもあり、誰もやらないので自分がやると決めたようだった。昨年も、アルトサックスの3年が生徒会会長であった。どうも、吹奏楽部は人の上に立ちたがりである。

 さて美奈は、今まで先輩がやってきたように、「はい、みんな集まって!」「パー練はじめます」と言ってみたものの、誰も集まらない。だらだら集まってきても、無駄話に花が咲いて音を出す雰囲気ではない。そういえば、入部した時からそんな雰囲気であった。だれも基礎練習をやらない。ロングトーンなど聞いたことがない。お友達の話や昨日のテレビの話、そんなことを楽しくおしゃべりして、「練習しようよ」というと、いきなり「合奏やろう!」。で、まともに音が合うはずもなく、つまらなくなってまた無駄話となる。
 いわゆる中2病である。そもそも2年が揃わない。でも生徒会もあるし、仕方が無い。でも1年がなぜ動かない!1年はまともに音すら出ないのに、なぜ練習しない。なぜ言う事を聞かない!何か言っても、「だって、オーボエじゃないし...」と。「私だって、好きでパーリーやっているのではない。みんながやりたくないというから、やっているだけだ。嫌ならパーリやってくれ!」と言いたいけど、いえない。

 それには、美奈には嫌な思いがあったからである。美奈が1年の頃、3年生は9人しか残っていなかった。この3年生は、東海大会2年連続出場の2年あとに入ってきたメンバーである。東海大会に行ったメンバーの時の1年生が、3年になったときの新入1年生が、3年になったのである。つまり、東海大会の時のことはほぼ何も知らない世代である。
 東海大会出場には、スパルタの顧問がいたことが有名であるが急遽転任となり、とりあえず教頭先生が顧問となった。教頭先生は吹奏楽の経験は全くなく、吹奏楽部はまともな顧問がいない状態であった。それから女性顧問が就くも立て続けに産休となり、ここからの3年間はまともな先生がいない中、部員たちが勝手に部活をすすめていた時代でもある。
 前の厳しかった顧問の時代を「ブラック」という人たちがいるが、本当の黒歴史はこの3年間であろう。「厳しさ」だけが一人歩きし、美奈が1年の時、例えば下校途中であっても、先輩を直立で礼をして挨拶をする。どこかのお店で出会っても、同様に直立して一礼する。そんなようであった。

 美奈はこれが嫌だった。間違って気がつかなかったとしても、後で呼ばれて平手打ちされることもあったようだ。そんな厳しい時代に二度となりたくない。自分たちがそうはしたくない。その思いが強かった。
 一度、1年に強く言ってみたことがあった。その時、1年は泣き出して話がまとまるどころか、結果的に泣かした方が悪いと自分に非が回ってきた。結局のところ、優しくにこやかに言い続けるしかない。
 なんで、先輩たちは上手く私たちを導いてくれたのだろうか。いや、私たちが先輩の気持ちを理解しようとしたから、上手くいったのだ。上手くいかないのは、1年が何も感じないからだ。私たちが「夏コン」で流した涙を見ていなかったのか、それでいて「全国大会行くぞ!」と目標を高く掲げていることをどう思っているんだ、なぜなにも感じない!と、心で叫んでひとり悔しい思いをしていた。

 そのいらだちは、実は2年全員が同じ思いであったであろう。
 だれも、マネジメントのやり方が分かっていないのである。というか先輩たちが、どのような苦労をしてまとめてきたか、実は何も見ていなかったのである。特に今の3年の先輩は、その上の厳しすぎる時代を後輩として過ごし、自分たちが2年となり新入の1年の美奈たちをかばってきて、やる気を育ててくれたのか、何も見てこなかったのである。普通に役職に就けば、みんなが従ってくると思っていたのである。役職に就いた。権限も持った。が、誰もついてこない。初めて、組織作りの難しさを知るのであった。

               *    *    *

 彩が提示した「私、ソロやりたい」事件は、実は今も続いていた。みんな「ソロ」をやりたいのである。実力とかは別の話である。自分が中心になりたいのである。そんな思いは、生徒会などの委員会、役員会などに吹部が多いことからもうかがえる。その表面のことばかり目がいき、そのために何をするか、どう根回しをして、どうやって注目させていくか。その方法を知るよしもなかったのである。また、そのことに、まだ誰も気がつかない。
 ただ、1年が悪い、誰それが悪い、その繰り返しであった。

 琴音はパーカッションを担当していた。パーカッションは、ドラム、スネア、コンガ、ボンゴの様ないわゆる太鼓系。マリンバ、シロフォン、ビブラフォン、グロッケンのような鍵盤打楽器系、ウィンドベル、カウベル、マラカス、タムタム(銅鑼)など、その他とにかく叩いたり振ったりして音を出す系など、実にレパートリーが広い。クラッシックの管弦楽でも、例えば有名なベートーヴェンの第九も、最後の第4楽章のわずかなフレーズにだけ使われるために、トライアングルが鎮座している。そのためだけに担当者がいて、このわずかなタイミングがずれただけで、全部の「第九」がだめになってしまうほど、重要なパートである。
 琴音は丸めがねを掛け、いつもおどけで見せてみんなに愛されている。いじられ、愛嬌たっぷりと応対し、マスコットのようである。しかし、これには訳があった。吹奏楽と言えば、マウスピースで息を吹き込むことがメインである。その昔、ブラスバンドと呼ばれた事もある。ブラスとは真鍮を意味して、金管楽器の構成を意味する。そこで、最近ではウィンドオーケストラと呼ぶようになり、空気で奏でることの表現である。しかし、打楽器はいずれでもない。管打楽器と呼ぶこともあるが、いつも何かあると忘れられている存在であった。パー練も近くでやられると、うるさくリズムも狂うので嫌煙され、防音の音楽室で独自で行っている。何かと他の部員との接触が少ないのである。それでいて楽器運びとなると、その数が多いことと、女子中学生にとってはどれもやたら重たいこと。自分たちだけではどうにもならないので、いつも他の楽器の部員に手伝ってもらわなければならない。そのため、いじられキャラを自ら買って出て、何かとみんなと行動して外れないようにしなければならなかった。
 そんな琴音が、パーカッションのパートリーダーとなった。

 明日香は、クラリネットを担当していた。引っ込み思案の性格で表に出るのを嫌い、いつも隅を歩くような性格であるが、態勢に流されふらふらしているのではなく、本当は自分の意見や考えを持っていて、ただそれをどう表現していいかが分からず、下を向いているのであった。
 クラリネットは、木管楽器の中心であるが、金管楽器と比べ音が小さいので、数でボリュームを上げる手法がとられる。他の楽器は、大体、パート毎学年で、1st.2nd.の2本立てであるが、クラリネットは3本以上在籍している。一つ上を受け持つ、エスクラ(Es)も含めて、パート員は10名と大所帯である。逆に言えば、みんなで同じパートを吹くので、一人二人音が出なくても、目立たないのである。そんなこともあり、エアークラも何人か紛れ込んでいて、パート全員が揃うことは少なかった。一つ上野先輩にスーパースターがいた。背の低い男の子で、座るとクラリネットとどちらが背が高いか迷うほどであったが、音は自己主張をしていた。背の低いことを逆手に取り、いつものけぞるように楽器を高く持ち上げ、天井に向かって吹いていた。後のパート員は、それに邪魔しない程度にボリュームアップしてついて行くだけで、パート全体が上手く聞こえるのであった。
 しかし、その先輩も引退し、自分たちが表に立つこととなる。誰もリーダーをやりたがらないので、仕方なくパーリーを引き受けるのであった。

 奈菜は、ホルンを担当している。ホルンの低音の優しく包み込む音に憧れて担当したものの、世界で一番難しい楽器としてギネス認定されていることを後から知ることとなる。金管楽器では最もマウスピースが小さく浅いため、唇を当てるのに苦労する。わずかにずれるだけで音が変わってしまう。ちょっと息の量が変わるだけで普通に音が変調し、それが故に表現が豊かになるのであるが、それはちゃんと吹けるようになってからの話で、最初はとにかく同じ音を出すことが出来ない。さらに、楽器の持ち方、右手をベルの中に入れるのだが、この形や向きや位置を変えるだけで音が変わる大変な楽器である。とにかく「同じ音」を出すことが非常に難しい。そこで考え出したのが、練習の時は常にチューナーを譜面台に置いて、その針とLEDの動きを見て「正しい」音を意識するようにしたのである。とにかく同じ音をイメージして、そこに近づける。その努力の結果、安定した音が出るようにはなってきた。しかし、ホルンのベルは後ろを向いている。聴衆にはどこかの壁などで反響してから届くのである。専門的に言えばドップラー効果などもあり、本人が聞こえている音と、聴衆が聞いている音に微妙なずれがある。これに気がつくのはまだ先の話である。第一、自分の音を聞くことが出来ない。理屈では分かるが、それがどれだけ「ずれて」いるかが分からないまま、練習を続けるのだった。そんな奈菜は、パートリーダーとなり、ホルンをまとめていくのであった。

 美咲は、ユーフォニアムを担当している。まさに、「響け!」をみて感動して担当することとなった。白銅のわずかに白みがかった銀色の管体と炊き抱えるとちょうど居心地の良いホールド感。そして、甘く柔らかい音色に心を奪われた口である。しかし、イメージとは裏腹に、肺活量が少ないことで、そもそも音が小さいし続かない。唇よりも遙かに大きなマウスピースに逆に吸い込まれそうに見えながらもどかしい練習を重ねていた。この楽器もベルは天井を向いている。自分は楽器を抱きかかえているので、体全体でその音を感じることが出きるが、出た音が聴衆にどのように伝わっているかがイメージできない。低い音は特に方向性が薄くなる。コントラバスやティンパニーは、床に振動を伝え、床面を這うように低音が広がるのに対し、ユーフォニアムは体で抱えることで、楽器全体からの振動は吸収され、ほぼ全量がベルから出されている。その構造はチューバも同じで、天井が青空のマーチングでは、スーザ-フォンと呼ばれる、ベル部分を前に向けた特殊な構造の楽器も用意されている。その中では、ユーフォは高音域を担当しているので、ベルから出た音がどのように聞こえているかがイメージできないことは、悩みであった。
 山田中学では、ETCパートとして分類している。ユーフォニアム、チューバ、コントラバス。合奏の低音域をカバーして曲のボリュームと広がりを出す重要なパートである。総部員数の関係もあり、各学年1楽器1人である。自然と美咲がパートリーダーになることとなった。

 美由は、ファゴットであった。新1年生を迎えるに当たりちょっとした事件があった。顧問の三田から、夏コンが終わったらファゴットを返してほしいとのことであった。その先生のファゴットを新1年生に使わせたいとのことである。なるほど、それはそれで意味が分かるが、150万円はする楽器である。そう言われても「はい、そうですか」と、買える物ではなかった。幸いレッスンの先生の家には、5、6台使わないファゴットが転がっていた。先生から「そういうことなら貸して上げるよ。そうだね、レンタル料は、月に15,000円ももらえば十分だね。ただ、返却するとき、オーバーホール(全調整)をしてくださいね。」との事で快く貸してもらえることとなった。問題は、オーバーホール費用である。楽器自体も天然の楓の木材で、大きさも身長ほどある大きな物で、キーにしても何もかもが大きく、それ故ゆがみなどが生じやすい物である。修理調整となると、それなりにお金がかかり、特別な破損等がなくても30万円はかかるとのことであった。150万円の楽器を買うよりは安いと言うことで、両親は承諾したが、なるほど、お金がかかる物である。日々の分解調整等は他の楽器でもやることで、自前の楽器を買っていればその費用も自分持ちである。仕方が無いと言えば仕方が無いが、少し重たい思いを持つのであった。

 今日子は、フルートで、ほぼ1st.を演奏している。それだけの自信はあった。しかし華奢な体は相変わらずで、肺活量不足は致命的でもある。また、舌が短いのか、どうしてもタンギングが上手くいかない。それはそれで唇を微妙にコントロールしてある程度はこなしているが、表現力として不足していることは気にしていた。とりあえず夏コンをこなして、新体制となった今、追い込まれている感情のはけ口として、生徒会に立候補して見事、副会長となるのであった。生徒会は自分がやりたいと思うことが出きるようだ。吹奏楽だと、思いとは裏腹に技術が伴わないと何も出来ない。吹奏楽の世界は実力の世界である。たとえ自分の主張が正しかったとしても、みんなは上手い人の意見に従うのである。3年のフルートには彩がいる。めきめき上達して上昇志向の彩の存在は気がかりであった。オーボエ2名を入れたフルートパートのリーダーを立候補しなかったのは、その今後あるであろう1st,パートの入れ替えが怖かったのであろうか。「自分の興味関心は、フルートの演奏よりも生徒会にある」自分に対しての言い訳けだったかも知れない。

 梨華は、Esクラリネットとなった。今までは、B♭クラリネットであったが、3年生が引退するとともに、一つ高音域のEsクラリネット担当となったのである。通常のB♭クラリネットの2/3程度の長さで、高音域を担当し、フルートに対するピッコロ。サックスに対するソプラノのような、音の雰囲気はクラリネットであるが、一つ高い音域でメロディーや装飾を担当する。音域的にはオーボエと近い物があり、美奈とは話が合うようである。なんだ、同じクラリネットじゃないか、と思いそうだが、指の使い方や楽譜、メロディーライン等全く異なり、最初は戸惑うことが多かった。また、常にEsクラのパートがあるわけでもなく、演奏の時は2本スタンドを持ち、B♭クラとEsクラを持ち替えての演奏が多くなった。

 彩乃は、パーカスの2ndである。琴音の方が正確なりズムを得意とすることもあり、琴音が1stである。もともと前に出たがる性格でもないので、それで良いのであるが、自分自身に技術が付いてくると、いろいろな楽器をやってみたくなる。琴音がストイックな性格でどんどん自分のものとして「音作り」に挑戦しているので、それに連れ合うように自分も上達してきたのである。実際、琴音とはいつもコンビを組み、同じ丸眼鏡、同じ前髪左右分けのキャラが重なり違いは、後ろ一つ縛りの彩乃に対し、琴音は短めのセミロングである点だけであった。性格は優しく前にでないタイプであるが、演奏は繊細で緻密。ティンパニーは、叩くよりも指で余韻をコントロールするのが好きであった。パーリーの琴音を支え、ストイックに攻める琴音の相棒として存在が重要な位置になっていた。

               *    *    *

 そんなこととは別に保護者会は立ち上がり、美奈の父親が会長を務めることとなった。もちろん美奈の父親も仕事をしているのであるが、仕事の内容が「地域活性化」という目的で動いており、そういう意味で「吹奏楽で地域活性化を」と、上手く仕事を結びつけることで会社側の許可をとったようである。あまり社会の中で自らの指示で動いた経験の少ない母親たちとは知識経験の量が異なり、昨年と同様の活動ではなく、「東海大会に行く」実践のための活動を宣言した。子供たちをその気にさせるのは親の本気モードだと、まず行動を起こすのである。
 これは顧問の三田の「この子たちは、化けるのです。どう化かすかは大人の仕事だ」という言葉そのものである。保護者会の中には「あんまり派手なことはやらないでください。来年困るから」という人もいた。毎年、同じ事を同じにやっていれば良い。それ以上のことをすると来年、保護者会役員をやる人がいなくなる。ということである。

 確かに、その理屈はその通りであろう。あんまり複雑で、その人でしか出来ない人間関係を駆使してしまうと、本当に後任が動きづらくなる。また誰もやらない新しいことにチャレンジするということは、結構ハードルが高いものものである。でも新しいことをやってみて、だめなら止めれば良い。面白ければ、その手順をしっかりと残しておけば、比較的簡単である。というのは、一度やったことならば「あー、あんな感じね」と、イメージが湧きそれはすでに「新しいこと」ではなく「既知」であり、誰でもやれちゃうことであるからである。
 今年の定演だって、静岡市民文化会館の中ホールであった。これだって、新しいチャレンジである。何のことはない、来年の定演は、お隣の大ホールである。実は新しいことをやっているのである。それは、顧問の三田が「3年で東海大会に連れて行く」という宣言を実行に移しているからである。
 今までやらないことをやる。それが、東海大会への近道だ。そう信じて疑わなかった。

 そして、着実に昨年とは異なる動きをしていくのであった。

 めざせ!東海大会♪

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

© 2021 まちなか演奏会実行委員会 

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