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第12話

浜松を知る

めざせ!大集合14人衆900-min.png

 かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

めざせ!東海大会♪ シーズン2

 定期演奏会を無事に終え、大好きな3年生との最後の別れを惜しみつつ、来年度への準備を始める美奈たちであった。この貴重な春休み。ほとんど休みがなかった部員達にとって、本当に貴重な休みであった。3年生は高校へ行く直前の最後の「東京ディズニーランド」にバスを仕立て出発した。美奈たち2年生も何人か便乗して少ない春休みを満喫していた。

 顧問の三田と保護者会会長の美奈の父親は、浜松の楽器工場見学の手配をしていた。美奈の父親はなぜか楽器集めが趣味で、その思いが顧問の三田と同調したようだ。もともとヤマハ楽器のピアノ工場は見学コースも作られ日常的に見学を受け付けているが、管楽器工場は基本的には一般公開していない。このように何か関係していないと見学が出来ない。顧問の三田も以前1回だけ見学した経験があるのみであった。
 この見学会の真の目的は、実は「浜松を知ろう」という事であった。どこか浜松市内の中学校と合同練習か、練習しているところを見学させてもらえないかと言うことが発端であり、楽器工場見学はそのおまけであった。しかし、春休み期間と言うことでなかなか同調してもらえる学校がなく、静岡県最高位に付ける浜松市立高丘中学校が、ちょうど定期演奏会を前にしていたので、練習風景の見学を申し出るも断られてしまった。ギリギリまで折衝したものの賛同する浜松の中学はなく、結局、楽器工場見学と次期夏コン会場であるアクトシティーホール見学と、浜松だけに「うなぎパイファクトリー」見学として動くこととなった。
 部員達もせっかくの春休みでいろいろ予定もあり、結局40名の参加にとどまった。それでも、今まで一度も無かったレクレーションのようなことで、みんな楽しそうに集まってきた。

楽器工場見学

 ヤマハの管楽器工場はおよそ国内の全ての製造を行っており、スチューデントモデルなどの廉価品は東南アジアでも作られているそうである。プロ用のカスタムモデルなども、ここで手作りされているそうである。真鍮の板を曲げてベル形状に起こし、だんだんと楽器らしくなっていく。一般的に女子は機械的なことに興味は無いが、それでも板が丸くなって、ベルが出来てと、面白そうに見ていた。楽器がなぜ高いのか。なるほど安いモデルといってもかなり手作業が多いのである。また正確に穴を塞ぐカバー、それを動かすキー、支えるポスト、スプリング、ちょこちょこついて複雑である。精密に溶接され、管は叩いて丸くして、最後に磨かれると、ピカピカとなる。
 そして検品作業で音出し確認となる。トランペットの工場では防音室の中で作業していたが、ウェルカム演奏とサプライズなおもてなしを受けることとなった。ヤマハ楽団所属のソロプレーヤでもあり、さすがに澄んで透明感のある素晴らしい音である。

 演奏が終わると、みんな目をまん丸にして「すごぉーい!」と、両隣と顔を合わせて驚いていた。パートが違えど良い音は通じる物である。考えてみれば、この子達は今まで間近で本物の「良い音」を聞いたことがなかった。演奏会はあるにせよ、手を伸ばせば届く距離での本物のトランペットの音。部員達の心に残る演奏であった。まず、美しい音色をイメージして、イメージ通りに心で唄って息を吹き込む。良い音はそうやって自分のものとなっていくのである。いままで、その「良い音」を知らなかったのである。そして、いま聴いた「良い音」は、強制的に聞かされたのではなく、自ら耳を傾けて自分の記憶にとどめていくのである。これは自分の経験となり自分の記憶となる。そして必ず次の練習の時にイメージとして沸き起こるはずである。

 その後、木管工場でも、サックスやフルートなどの音出しが聞こえると、説明そっちのけで、その音を工場のどこからかと探すのであった。「吹部生は良い音にしか、なびかない」そんな都市伝説があるとか無いとか。自分たちだけでは絶対に体験できない貴重な体験をしたようだった。

 その後は、夏コンの会場である、浜松アクトシティーホール見学となった。ホールそのものは他の団体の演奏会の準備があり覗けなかったが、楽屋口からホール正面、など、当日の導線の確認が出来た。そして大ホール正面のモニュメントで記念写真を撮った。
 「悔し涙は要らない!必ず、笑顔で帰るぞ!」
 「いぇーぃ!」
 みんな思いを新たにした瞬間であった。

会場視察

 その後の「うなぎパイファクトリー」見学は、館内自由見学となった。買い物も飲食も自由行動である。この瞬間、部員達は普通の女子中学生に戻るのであった。美奈は家族とよくここに来るので、ここで一番好きな場所がパーラーで、食べたいものが「うなぎパイミルフィーユ」である事をよく知っていた。他の子は初めての子も多く、工場のラインを楽しそうに見ているが、美奈とそのグループは、真っ先にパーラーに向かった。仲間と楽しく「ミルフィーユ」を食べていると、顧問の三田が参入してきた。練習の時の三田の姿ではなく、楽しい大人の人であった。
 花愛と彩達グループが入ってきた。美奈が「ここにおいで」と誘うと、「いえ、あっちに行こう」と避けていった。「楽しい大人の人」も浮いた存在のようである。

 工場限定の「お徳用セット」などもあり、みんなそれぞれ両手一杯のお土産を買って、帰路についた。中には初めての浜松の子も何人かいたようである。「浜松」を意識すること。これが、東海大会進出のキーワードである。

               *    *    *

 2日後、県内トップの実力の浜松市立高丘中学校の定期演奏会が、アクトシティ中ホールで行われた。過去4年連続全国大会出場の常勝校であったが、昨年惜しくも東海大会5位の「だめ金」。全国の切符を逃し悔しい涙を流したようだ。とはいえ、アンサンブルコンテストも4チーム全て金賞、うち2チームが全国大会進出と、レベルが違うのである。顧問の三田からも是非聞きに行くことを奨めると言われていたが、美奈が誘うも、賛同者はいなかった。浜松が遠いこと。平日で付き添う保護者がいないこと。それと、同日に静岡で静岡市立小坂中学校の定期演奏会があったことがその理由であった。
 静岡市立小坂中学校は、かつて山田中学校吹奏楽部を2年連続東海大会出場させた顧問が今教えている中学校である。規模が小さくB編成ではあるが、昨年は県代表朝日賞受賞(東海大会出場)、アンコンの時、美奈たち木管を押さえて県大会出場した強豪で、もっかの目標でもあった。その顧問が公立中学校を辞め、私学の三保高校・中学校に転出することとなり、最後の公立中での演奏と合ってそれも気になるところではある。
 美奈は一人で浜松に行くことも出来なくて悩んでいたので、美奈の父親が急遽会社を休んで同行することとなった。

 浜松アクトシティ中ホール(1,030名)は、パイプオルガン完備の2階付きの中規模ホールで、静岡AOIホール(618名)を二回り大きくした様な構造である。音響は音楽専用ホールだけあり素晴らしいが、上部反響板が無いこともあり、楽器の配置を工夫しないと奥の楽器が聞き取りにくいかも知れない。ほぼ満席の盛況であった。

 演奏会はいきなり、派手なファンファーレから始まった。オリジナル曲であり、スピードがあり、きれいなハーモニーありと、観客の心をわしづかみにしていった。美奈は吹部ノートを取り出し、しきりにメモをしていたが、次第にメモの手が遅くなり、聞き入るようになった。1年生15名、2年生15名、3年生22名の52名の編成である。オーボエは2本あり、美奈のいる2階席の奥にまで飛んでくる音であった。美奈の父親も最初はあら探しに没頭したが、次第に「音」に酔うようになった。
 2曲目は今年の夏コンの課題曲を演奏した。うーん、この時点で完成している。今の時点でこの演奏だと、どこまで伸びるのか。なるほど、これが全国の音なのだ。斜に構えて聴いていた美奈の父は「これじゃかなわない」と、ぼぉっとなってしまった。戦意消失。もはやこの音は、中学校のレベルではない。高校と言っても静岡市内でこの音に勝てる高校がいくつあるだろうか。これが全国レベルの「音」であり、レベルが、2段も3段も違う、まさに「格別」であった。

浜松の音

 美奈たち山田中学校の定期演奏会は、昨年より上手くなっていた。昨年、夏コン県大会は次点5位の「だめ金」だとして、「今年は念願の東海大会が見えてきた」と、みんなが思っていた。しかし、それがたまたま良かったレベルの格下の話であったことに気がつくのであった。昨年、県大会で流した悔し涙と、この高丘中学校が東海大会で流した涙と、同じではないことが誰が聴いても分かる音であった。明らかに、めざしている音が違いすぎた。「浜松を抜こう!」と、何を目標に言っていたのであろうか。「東海大会行こう!」「めざせ!全国大会」と、何を根拠に言っていたのか。何も知らないと言うことは、こういうことを言うのである。今までの思いが「茶番」であった。

 さて、第2部は同じ学区の2つの小学校のブラスバンドの演奏であった。トランペットの代わりにコルネット。ユーフォニアムの代わりにアルトホルン。テナーボーンとドラムセットと子供向けの編成であるが、子供らしく元気に姿勢良く自信を持って吹いている。曲は子供向けの優しい曲であるが、出している「音」は芯の太い前に突き進む音であった。山田中の金管パートより正確かも知れない。なるほど、ここから違うのだと感じるのであった。ちなみにこの子達、小学生部門とは言え全国大会出場チームである。

 浜松市は、「楽器の街、音楽の街、はままつ」として市の市政としても動いている。ヤマハをはじめカワイ、ローランドなど、多くの楽器メーカーがあり、それを支えている。街角演奏会も毎週のようにあり、良い音に慣れている。たまたま見学した楽器工場での音で「目をまん丸にしている」のとは深さが違うのである。そして、市の市政であれば市教育委員会も動く。浜松市立中学校の吹奏楽部の顧問の異動は、全体のバランスを見て行われている。また、小学校の音楽指導教諭も中学校と連動して異動している。ここ高丘中学校のトランペットの指導教諭も、今まで、学区小学校の指導をしていたようだ。子供達と一緒に進級していく。
 また、ここは、航空自衛隊浜松基地の隣にある。騒音が激しいところである。それ故に、学校も近隣住宅も防音処理されていて、窓も全て二重窓となっている。そのため、学内で夜まで練習しても全く近隣迷惑にならないという逆の効果もある。「音楽の街、はままつ」といえども、特にこの地域には全市を挙げてのバックアップがあるのである。

 子供達は体の成長を待たなければ、適量の肺活量が得られない。そのため、どうしても金管は良い音になるのに時間がかかる。そう思っていた。それは確かにそうである。しかしそれだけではなく、ただ穴が開いたカップのようなマウスピースで、様々な音が出せるようになるのに、最低でも3ヶ月。半年は普通にかかるものである。中学に入ってから覚えるのでは、半年は使えない「音」である。そんな不協和音の中での練習は、かえって音に敏感にならなくなり、悪影響でもある。つまり、中学から初めて金管を吹くのであると、それだけでも大きなタイムラグを生じているのである。逆に、高校生から金管を始めても、比較的すぐ覚えるようである。体が完成してきているので、マウスピースも口になじみ、肺活量で力尽くで音を出すことが出来てしまうからである。
 木管は、小学校の授業でリコーダーをやる関係で、リードのコツさえ掴めばそこそこの音は出せる。そこから「良い音」にするには、いろいろな成長を待たなければならないが、中学から初めても十分「良い音」を出せるようになる。
 山田中学においても、アンコンまでの特に1年生の金管は聴くに堪えないレベルであった。それでも前に進もうと吹く姿勢は良かった。そのために中心街の演奏会などを設定した。そして、2月のコンサートシリーズ冬では見事な演奏を出来るように成長した。確かに曲は簡単な曲である。でも、金管で周りの音に併せたハーモニーが作れるようになれば、後は伸びるだけである。しかし、それには11ヶ月も要したのである。で、そのレベルがこの小学生の演奏のレベルである。
 スタートが違うのである。

 第3部はおなじみポップスの演奏である。ポップスといえども手抜きはしない。ディープ・パープル・メドレーは、どこでも定番の曲であるが、中学生のボーンやペットの音ではない。静岡の高校で男の子をペット、ボーン、チューバに集めて演奏したところがあった。女子高校生が主流の吹奏楽部で「これはずるい」と思えるような、音の大きさで圧倒させていた。よく聴けば音は合っていないし、テンポのずれもある。が、大音響でぶっ放せばそんなの吹き飛ばしてしまう。そんな演奏であった。しかし、高丘中学校は女子中学生が主流である。それでこの音である。しかも音は正確だし、テンポも合っている。3つ4つのトロンボーンの音がばらばらに聞こえてくるのではなく、6本のトロンボーンがまるでひとつの楽器のように飛んでくる。そんな音であった。
 2曲目は、シング・シング・シングであった。これも盛り上がるスイングジャズの定番である。テンポに乗れば比較的簡単に演奏できるようであるが、ここはそのレベルではなかった。そもそも合奏の段階での編曲がなされていて、素早いトリルで楽しませてくれる。そうなれば当然ソロはそれを超えるレベルであり、リップスラーの上下、素早いトリル、オクターブ越えの音の連打、低域からビブラートを聴かせて上げていき、そしてペットでそこまで吹ける?という高い音で閉める。もはやプロ級である。
 体がスイングして、楽しい演奏であった。

 締めは3年生を送る会もそのまま行われた。ここで全容が理解できた。ここ高丘中学校は、3年生がこの1月のアンコンまで出ているのである。普通はアンコンは2年生が出てくるので、それは上手い訳である。ということは、この3年生、受験はどうしたの...?という疑問が出てくる。22名の3年生の中で6名も県外の高校へ行き吹奏楽を続けるというコメントがあった。この時点で、県内の高校で吹奏楽を続けるとはっきりと紹介される子もいた。浜松市内には全国大会常連の海星学園があり、また、市内公立高校も東海大会常連校がいくつかある。ということは、吹奏楽推薦枠があるということであろう。そんな紹介があった子が部員の半数以上である。10月のコンクール、11月の遠征、12月から1月のアンコン。なるほど忙しい。これでは受験勉強している時間が無い。ということだろうか....。
 たしかに、このレベルまで来れば、プロ並みの力をもっと伸ばしていきたいというのは当然であろう。浜松から全国を牽引できる演奏家を多く輩出したいという市の市政はうなずける。しかし、学区制の義務教育である。ここまでやら無ければならないものであろうか。サッカーも、野球も静岡県はかつて全国有数の実力であった。静岡県のすごいのは、それを公立で勝ち取っていたことである。まさに文武両道。それも他の地域の私学による専門のチームが立ち上がって行くにつれて、静岡県のレベルは相対的に低下している。
 吹奏楽も、名古屋とか、埼玉とか、異様な盛り上がりを示す地域がある。せめてそこに追いつこうという浜松市の市政は評価できる。

 しかし、これは山田中学校のめざす吹奏楽部のあるべき姿ではないと感じたのである。負け惜しみではなく、そういう選択肢もあるということ。みんながプロをめざすのではない。また、中途半端に上手くなって、プロのようになったところで、みんながそれで飯を食べていけるのではない。かつて吹奏楽に明け暮れた人は、それこそ楽器工場や楽器販売店、リペア工房など仕事にその経験を生かす人。全く関係ないお仕事を選ぶ人。仕事と趣味を両立して楽しむ人。人それぞれである。様々な選択肢を残した上で、このひと時を共有している。それが良いのである。気がついたら他の職業を選べなかった....では、悲しすぎる。と、美奈の父親は感じたのである。
 少なくても、今の山田中学校のように、夏コンまでが3年生のチャレンジで、そこで引退。受験勉強をがんばってもらい、3月の定期演奏会で最後の演奏をして送り出すというスタイルは大事だと感じた。
 とはいうものの、スタートは早めたい。いま、働き方改革の一つの方向として、中学部活の時間制限が検討されている。これがそのまま適応されれば、吹奏楽など地に落ちてしまう。ちゃんとした音を出すのにトータル何時間かかるのであろうか。また、野球で言えばキャッチボールはやるであろう。素振りやバッティング練習もやるであろう。でも、吹奏楽は一人一人が基礎練習、ロングトーン、タンギング、スケールと1日最低やらなければならないルーチンがある。そこから先に演奏曲の個人練習、パート練習、そして合奏練習と続くのである。昨日基礎練習をやったので、今日はパート練習。明日合奏練習をやりましょうというものではない。合奏曲自体は、わずか5,6分である。でも、そこに仕上げるのに何時間もかかるのである。また、個人練習としても、楽器をどうするか?それでも安いトランペットやクラリネットはともかく、バリトンサックス60万。バスクラリネット80万、ファゴット150万、そもそもティンパニーなんて個人じゃ買えない。かりに入手しても、個人宅で練習すれば「うるさい」と近所迷惑である。レッスンに通えば、30分5000円とか、かかってしまう。とても個人で独学で練習できるものではない。
 単純に時間制限をかけられると、合奏練習までいきつかないのである。
 さて、この時間制限はともかくとして、スタートを早めることが出来れば、ずいぶん早い段階で成長を望めるものである。小学校に児童クラブの一環としてブラスバンド部でも結成できたら良いなぁと美奈の父親は思うのであった。保護者会としてそこをバックアップして、地域全体で吹奏楽部を育てるにはどんなことが出来るか、思いをはせるのであった。

               *    *    *

 その2日後、美奈はまた浜松にいた。今度は野中貿易という輸入楽器を手がける会社が主催する、2枚リードの展示会と無料調整の会があり、父と参加していた。美奈のオーボエは、昨年、アンコン出場を決めた際、やはり浜松のリペア工房に調整に出していた。木管楽器という物は、細かく可動部分が多く、通常使用であっても緩んでくる物である。半年に1回は調整に出すのが良いとされている。とはいえ、お金がかかることでもあるので、最初は1年間調整に出さなかった。さすがに1つの音が出なくなっているので、アンコンを前に急遽調整に出したのである。美奈は、調整から帰ってきたオーボエを吹いて「すごい!、好きになっちゃう♪」と飛び跳ねてしまったほどであった。

 さて、本年度の本番、定期演奏会が終わり、新年度を迎えるに当たり、調整をしておきたかった。とくにここが悪いと感じてはいなかったが、区切りとして、またこれから夏コンに向けて調整していくにおいて、今やっておきたかったからである。後輩の子にも声をかけて、一緒に行く予定であったが、日程の都合で後輩が来れなくなり、美奈の父親と一緒に、後輩のオーボエも預かって訪れたのである。
 扉を開けると、オーボエを試し吹きする男の人、ファゴットを試し吹きする女子大学生のような人がいて、またアマチュア音楽家が、美奈と同じヨーゼフの一つ上のモデルを調整に出していた。中学2年生らしき女の子が、リードの試し吹きでリードを選んでいた。いろいろな澄んだオーボエの音が入り乱れる中、美奈は怖くなり部屋を出てしまった。それでも防音扉から漏れ出る音を外で聞いていたのである。どうも、オーボエを試し吹きしている人は、地元浜松の講師のようで、このたび、全国大会常連高校の海星学園でオーボエ講師となったようである。そして、アマチュア音楽家は「お久しぶりです」なんて声をかけていた。そのうち、もう一人の小さな子供連れのアマチュア音楽家も調整にオーボエを持ち込んできた。確かに空気は「濃い」。美奈の父親も最初は居心地が悪かった。リペアマンが、「この音と、この音とどちらが良いですか?」と尋ねると、アマチュア音楽家の様な人が、「こちらが良いですね」と言っているのを聞いていたが、その違いなど分からなかった。素人には違いが分からない、そのレベルの調整である。

 しかし、30分もその環境にいれば、次第に耳が慣れてきた。どちらが良い音までは分からないが、なんとなく違いが分かるようである。ちょっと平べったいとか、丸いとか。吹きやすさなどは吹かなければ分からないが、出た音はなんとなく分かるようになってきた。
 女子中学生らしき子は、青いリードとオレンジのリードで悩んでいるようだ。ぱっと聴くと青い方が、丸くてまっすぐに響く低音が出てきて、良さそうなのだが、高音になると吹きにくいのか首をかしげる。オレンジ色の方は、高音は澄んだ音で良いのだが、低音がなんとなく割れているような感じである。何度も付け替えていた。
 美奈は、リードに関しては、レッスンの先生に任せている。というのは、まだ完全な吹き方が定着していないので、今ぴったりのリードが出てきても、すぐ吹き方が成長してそのリードが合わなくなる、その過程だからだという。その都度、レッスンの先生がナイフで調整してくれているようである。それはそれでありがたいことである。今ここにいる女子中学生は、そういう先生に巡り会っていないのか、独学なのか。それでも、試し吹きとはいえ、まっすぐな良い音である。

オーボエリペア

 さて、美奈の楽器の調整となった。「どこか調整してほしいところがありますか」の問いに、答えられなかった。どこが良いかが分からないので、どこが悪いかも分からないという状況であろう。そこでリペアマンは質問を変え「どういう演奏が苦手か」と聴いてきた。なるほど。「高音がちょっと吹きにくいです」との答えをヒントに、調整をはじめた。美奈はもともと、低音が得意であったが、確かに高音は手こずっていた。楽器が悪いのではなく、吹き方が悪いのであろう。でも、リペアマンは「とりあえず、楽器のせいにしちゃって良いよ。それを調整するのが、私たちリペアマンだから」と、実にストレートな回答。吹奏楽は女性が多いことと、特にオーボエなどは自己が強いが引っ込み思案の子が多いようで、心を引き出すのが手慣れたものである。
 そして、とうとう、展示のマリゴ901をはじめ、N響青山先生スペシャルのメーニッヒのスペシャルモデルまで、7、8本の試し吹きをさせてもらえた。特にメーニッヒは、メープルで出来ていて「あっ、軽い!」と声が出た。
 そして念願のイングリッシュホルンの試し吹きである。構造はオーボエと同じなので、それなりに音が出たところで、野中貿易の営業の方が、「ツェー、べー、」と音を指示してそれを吹くようになった。出てきたメロディーは、ドボルザークの「新世界第2楽章」(家路)である。俗に下校の音楽「遠き山に日が落ちて~♪」である。営業の方が「なんの曲か分かるでしょ?」の問いに、「分かりません」と。これにはお店の方も、美奈の父親もびっくり。「そうです。いまは、下校の音楽として使われなくなっているようですね。」と、販売店の方のフォローが入る。

 イングリッシュホルンの代表曲でもあり、野中貿易の担当者もがっかりしていたところ、リペアマンが、「だったら、その曲弾いてください!」といたずらっぽい目で担当者に言う。そして、そこから「新世界第2楽章」「ダッタン人の踊り」と2曲、イングリッシュホルンの代表曲の独奏会となった。さすがに、1本100万以上するオーボエを年間500本売る人で、素晴らしい演奏であった。美奈の目は吸い込まれていった。「ダッタン人の踊り」は美奈が学内ソロ選抜で吹いた曲である。余計に親しみがわいたようである。

 こんなイベントも、浜松では普通で行われているのである。まず一流の人の音を知ること。そしてその音とふれあうこと。考えてみたら、野中貿易の担当者の演奏も、海星学園の講師の演奏も、浜松アマチュア楽団のソリストの演奏も、そんな簡単に聴ける音ではない。もちろん試し吹きではあり、本気モードの音ではないが、それでも、うっとりする音色である。これがオーボエの音の虜になる、そんな音色であった。

 さて、静岡県トップの実力を目の当たりとして、いろいろと課題が見えてきた。まずは、目標とするレベルを再確認するべきである。そのためには、もっと他の音を聞くべきで、その中での自分たちのレベルを知るべきである。

 顧問の三田と、保護者会会長の美奈の父親は、「中部日本コンクール」への出場を決めたのである。

 新年度は、「マリナートBRASSカップ」の出場権はあるものの、2日前まで3年生が修学旅行である。さすがに2日で仕上げては無理である。そこで残念ながら辞退した。「中部日本コンクール」は、地区大会が無く、いきなり県大会。そして本大会(東海大会)である。その分、東海大会に出やすいというのではなく、この大会、ほぼ浜松地区の中学校全てが参加している。静岡から出る中学校はまれである。参加するということは、浜松のレベルを知ることが出来る。浜松は5月のゴールデンウィークは「浜松祭り」で、全中学校高校の部活は休止で、「浜松祭り」に全力投球となる。そのため、そこから1ヶ月の仕上がりでさほど上手くないと、顧問の三田は言う。とはいえ、この浜松勢を抜かなければ夏コンの東海大会は無いのである。昨年、一昨年と、高丘中学はなぜか出場していない。理由はわかないが、それであれば、本大会(名古屋)にいけるかも知れないというのも魅力ではある。

 県トップをめざすのは、難しいことがよく分かった。しかも、それは望む姿でもないと感じた。しかし、2位でも3位でも、東海大会の常連になることは出来る。かつてその時代もあった。山田学区および山田中学校において、過去の黒歴史を断ち切り本当の実力校になるために、やれることをやろう。

 それは、目標を明確にすること。そのために「浜松を知る」事である。

 めざせ!東海大会♪

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

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