かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。
めざせ!東海大会♪ シーズン2
今年は、顧問の三田が赴任してから3度目の「静岡県吹奏楽コンクール」となる。もちろん、このコンクールは、東海吹奏楽コンクールの予選、全日本吹奏楽コンクールの予選を兼ねている。高校野球でいう、「甲子園行こうぜ!」は、吹奏楽では「普門館行こうぜ」であったが、耐震設計のことなどもあり、今は、名古屋国際会議場センチュリーホールとなっている。
この年は、偶然にも、東海大会は、名古屋国際会議場となっているので、全日本に行かなくても、雰囲気が味わえるラッキーな年である....。
静岡県は、東部、中部、西部と3地区に別れていて、それぞれ地区大会がある。中学校のA編成の場合、地区大会上位8校が県大会進出となる。毎年、少子化の影響でA編成の学校が減っているが、それでも中部地区大会A編成は24校あり2日にわたり開催される。B編成は32校あり、こちらは上位6校が県大会進出となる。
静岡県吹奏楽連盟の規定では、A編成は50名以下の吹奏楽編成で、課題曲と自由曲の組み合わせで、制限時間12分以内。B編成は30名以下の吹奏楽編成で、自由曲のみで7分以内。そして、人数は上限があるけど下限は無い。つまり20名でもA編にチャレンジできるということだ。A編のみが全日本を狙えるが、B編は東海大会まで。C編(20名以下)は県大会止まりである。
昨今、東海大会に出たいがため、無理矢理退部させたり、1年生の入部を遅くしたり調整をして、本来はA編成を狙えるのに、B編成で出場して上位受賞を狙う団体もあるようである。それを規約違反とは言わないが、芸術を志す者、部活として心の育成をめざす者の取る行動か、話題になるようである。
A編成B編成の両部門にエントリーすることは可能だが、最低部員数規定があり、80名以上いなければエントリーはできない。またその際、指揮者は同一人物で無ければならない。指揮者規定も、静岡県中学生の部は学校教師でなければならないとし、外部講師、プロの指揮者などは起用できない。ここもある程度厳しい状況で、各校顧問が必ずしも、吹奏楽経験者とばかりとは、いかないようで、明暗を分けることとなる。とりあえず音楽の先生であったり、合唱の経験者と言うだけで、顧問になるケースもある。吹奏楽経験者で吹奏楽の顧問をやっている教師に当たるか、当たらないかで、舞台か奈落かを分けることも、よくある話である。仮に各パート指導は、外部講師を雇って技量を高めることができても、指揮者だけは学内教師でなければならない。指揮者は、単に棒を振っているのでは無く、表現一つ一つを奏者全員とコミュニケートして、一つにまとめているのである。ここが素人だと、どんなに優れた技量を持った部員がいても、まともな合奏にはならない。でも、しっかりと指揮が出来る教師は、やはり限られている。仕方が無いが辛いところである。
山田中は、顧問の三田の発案で、A編成、B編成両方をチャレンジすることとなった。5月の時点で、新入部員が30名となり、全部員数87名をかぞえ人数的には可能となった。しかし顧問の三田には、ためらいがあった。内部にがたつきがあり、4,5人辞める可能性が高いと判断していた。体調を崩した新2年のコントラバスの子。本人の意思は「続けたい」であるが、練習中に何度も倒れてしまうので、やはり無理と言わざるを得ない。それ以外でも、クラリネットパートに数名、戦力外通告を出さざるを得ない子がいるようで、無理をしない方が良いかと、弱気なった時期もあった。
しかし、中部日本吹奏楽コンクールの練習をしながら、全体のことを考えていた。それは、1年生の対応である。毎年、夏のコンクールにかかりっきりとなり、顧問はもちろん、先輩達も1年生の世話を見ている暇が無いこと。楽譜を渡して個人練習、パート練習といっても、何をやって良いかも分からず、そもそも「音」がでなかったりで、無駄な時間を過ごしてしまう。まともに相手するのは、3年が引退した9月からで、その最初のステージ、町内会の運動会の演奏は、「ヤルセナール」である。音になっていない、ひどい演奏である。
今年から、中学校教師の時間外労働時間を減らすための施策、部活動の時間短縮が始まることとなる。本来は、運動部ということで全国的にはスタートするが、静岡市は独自に、文化部、吹奏楽部にも適用させることとなり、確実に練習時間が減らされることとなる。山田中の場合、指針通りに実施すれば、練習時間は半分ぐらいになっていまう。それぐらいに、現在は、土日練習をしていたこととなる。しかし、この短い練習では、とても「音」を出す事は出来ない。
そもそも、「音」を出すのに、個人差はあれど、何日もかかる子もいる。骨格や体型なども影響して、本人の努力だけではカバーできない部分も多い。また日々の練習にしても、運動部で言うところの準備運動として、楽器組み立て、音だし、チューニング、それから、ロングトーン、スケール....と最低でも1時間とかかかるので、例えば、土曜日午前中3時間となれば、準備に1時間、片付けに30分とすると、実質練習時間は1時間半しかないこととなる。5分の曲とは言え、初見で演奏出来るわけも無い。今でも演奏会の前の合奏練習でも、1曲1時間はかかっている。演奏会で仮に10曲やるとなると、単純10時間の調整がいるとなれば、数ヶ月前から準備しなくてはならない。それではまた当日忘れてしまうであろう。なんとか対策をしなければガタガタになってしまう。この危機感があった。この時短施策は、当面静岡市のみのようで、これが始まれば静岡市の吹奏楽の火は消えると断言していた。
今年は、始めて合宿練習を取り入れることとなった。これはそもそも、技術的なことよりも心を育てることに趣を置いていた。昨年「だめ金」であった事も、技術的なことでは無く、奏者全員の心を一つにする必要を感じたからである。その合宿も1年は遊ばせておくことになる。そこを考えると、下手でも良いから何かやらせようという事となり、無理を承知でA編B編両エントリーを強行した。それには、強力な保護者会があるのでなんとかなると、考えていた。
顧問の仲間の繋がりで、B編成を指導してもらった。どのみち、A編成から5名は落とされることとなる。この子達のためにも、B編を盛り上げようとみんなの意思が繋がった。そして、B編落ちの2年生も役割の意味を理解し、全く楽器を触ったことの無い1年生の指導に当たったのである。もちろん、A編の2,3年生もその難しさをよく理解して、「1年、下手!」と思いつつも、何とかしようと感じているようだった。しかし、そこはまだ中学生。自己犠牲をしてまで他人のために何かしようとまでは、できないのである。「苦労して這い上がってきたのだから、先輩の動きを見て進んで動け!何で動けないんだ!2年の指導が悪い!」
言い切った3年である。
そんなこともあり、合宿直前に、部内はガタガタとなっていた。
しかし、合宿で見事にそのあたりの感情は切り替わり、みんなで動こうという気運が高まってきてはいた。しかしそれ以上に暑くて、もうどうでも良い位の弱気に襲われてもいた。
そこにきての、顧問の緊急入院、緊急手術。これはさすがに堪えたようだ。最初は事の重大さに気がつかず、風邪で休んだ程度の感覚で、「ラッキー、お休みだ!」と言う意識であったが、現実を知ると危機感が増し、個々の事より全体を見ようと、部長を始めパーリーが動き出した。ばたばた体調不良がでる中、体調管理は個人の責任という感覚から、塩タブレットを強制的に練習前に食べさせるとか、水分補給をみんなで注意し合うなど、自発的な行動が出きるようになっていった。
そのような行動動が取れてくるということは、周りが見えるようになり、自分の位置を客観的に見ることが出きるようになってきているということである。この感覚が、吹奏楽の「合奏」に大変重要なポイントである。
吹奏楽の楽器は、唇、歯、顎、息の入れ方、いろいろな変化によって、いかような音でも出せる自由度を持っている。ピアノの「ド」は誰が弾いても「ド」であるが、例えば金管楽器であれば「ソドソドミ」と、何もしなくても音がひっくり返るのである。もっと言えば、ピストンを押すとかしなくても、口と息だけで、音階が作れてしまう。古い金管楽器は「ナチュラルホルン」はまさに、ちゃんと音階で演奏しているのである。逆に言えば、誰もが「ド」を吹いても、微妙に違うわけで、これが吹奏楽の音が「濁って気持ち悪い」と言われる由縁でもある。ここを綺麗な澄んだ音にするには、ちゃんと周波数のあった正確な「ド」を出す事は大前提である。しかし、コンサートホールだと、右サイドから、左サイドから、上から、後ろから、そして、会場の左右、正面に反射した音、これら全てを聞き分けて、濁らない同じ音を作らなければならない。最後の「音作り」は現場合わせなのである。「合奏」とは「合わせて奏でる」である。
そのためには、「周囲の音」を聞き分けて、どの「音」に合わせるか、それを常に考える必要がある。「誰かが下手だから」とか、人の責任を言っているうちは、この「どこかの音に合わせる」という行動ができない。極端な話、全員の基音がずれているのならば、それはそれで良いのである。NHK交響楽団の様なプロ中のプロであっても、2時間もの演奏をすれば、最初と最後では基音「ラ」の音が1/4程低くなっている事もある。それでも、全員がそれで合わせているから、澄んで心地よい音で演奏されているのである。これで良いのである。機械ではない。その自然な音のずれがまた、演奏を深く感じさせる表現でもあるのである。
吹奏楽で言うチームワークは、まず個々の技量がレベルに無ければ問題外であるが、その次に必要となるのが、人の音を聞き分けること。そして、その音に合わせて演奏することである。この段階では、チューナーなどの機械は逆に邪魔となる。
定期演奏会の時、どうしても高くなるホルンに対し、「このグロッケンに合わせなければ、気持ち悪だろう!」と言った顧問の三田の名言である。ホルンの音はベルが後ろを向いているので、前方で聞いていると1/4程変わっているのである。高いか低いかはステージの反射率やら速度やらで変わるのだが、音の調整ができないグロッケンに合わせるという事を、むしろその時知ったのである。そして、そこからのホルンの奈菜の成長ぶりは素晴らしいかった。
いままで、金管が弱い山田中と言われた主原因は、このホルンを始め、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバであった。しかし、何をすれば良いか目の覚めた金管は、急に艶やかな豊かで勢いのある音色を奏でるように変わっていくのであった。
A編は自分たちだけが演奏できていれば問題ないと、今はもう思わない。常にB編を視野に入れて声をかけていく。B編はもちろん、それに応えてどんどん吸収していく。そして合宿最後のB編成の演奏では、思わず涙ぐむA編成のメンバーであった。
そして、いよいよ中部地区大会となった。山田中は、過去11回連続地区大会突破、県大会出場である。これはこれでおそらくすごい記録である。その間に数回顧問が替わっているのに、先輩から伝わる「何か」があるのだろうか。とはいえ、実は毎回ドラマがあり余裕で地区大会を抜けているのでは無い。今回は、まさかの顧問の緊急入院騒ぎであろう。下手すれば「失格」もあり得たこの状況。退院された顧問を見て、部員のほか保護者も全員が胸をなでおろしたのである。
金曜日が、C編とA編。翌土曜日が、A編と、A編の表彰式。そして、日曜日がB編と、なんと3日に分けての開催である。山田中は、土曜日にA編、日曜日にB編という2日間の挑戦となる。さて、ここに一つ問題がある。従来A編のみの時は、出場しない部員が楽器運びや運営のお手伝いをしてたのだが、ほぼ全員がどちらかに出るのである。先に主軸であるA編が出るので、お手伝いをB編にお願いすると言うことは、B編は自分たちの合奏練習は出来ないと言うことになる。それでも、バスが60人乗りであるため、お手伝いのためにもう1台バスを頼むのもどうかという意味で、お手伝いは10名となった。
他校では、部員が少ないこともあり、全員で楽器を運び全員で演奏するスタイルが多いが、山田中は顧問の池田の考えで、重い楽器の搬出は、演奏しない子が運ぶこととなっている。それは、重い楽器を持つとまだ中学生の細い腕では、腕がガクガクしてしまい、演奏に悪影響があるからだと考えているからである。木管楽器のメンバーはそれが顕著で、素早いトリルやフィンガリングを可能にするためにも、打楽器等の重い楽器の搬出は手伝わないこととなっている。もちろん、演奏が終わった後は、みんなで素早く撤収を原則として、全員で搬出をする。部員が多いと言うことは、「音」作りには有利である。
* * *
当日、朝、集合時間を後れた子がいた。フルートの彩である。昨年も地区大会の時、5人も遅刻があり地区大会の演奏から外された。顧問の三田は、この「時間」に厳しいのである。コンクールは12分制限。1秒でもオーバーすれば失格となる。これは全国的によくある話で、その厳しさを伝える必要があるからである。昨年は5名も演奏しないけど、地区大会突破は出きると判断した。今年はフルート2番手の彩である。しかし、なんとかなると判断したようだ。彩は出場を断られたのである。
実は、彩にも事情があった。2年から転入し楽器経験も無く吹奏楽部に入り「私、ソロやりたい」と言い放ったのであるが、そもそも転勤族でそのぐらいの度胸が無ければ、自分が成り立たない。そういう思いもあり、常に「前へ前へ」と出る性格であった。練習もしっかりと行い、外部にレッスンも行き、徐々に台頭を表し定演ではわずか10ヶ月にして「ソロ」を勝ち取ったのである。3年のフルートパートのまさに下克上そのものであった。その彩が、実は本番前ほぼ一睡も出来ず、体調を崩したようである。母親は、それでも本人の演奏したい気持ちと休ませようか悩んだあげく「遅刻させます」の電話を入れるのが、既に時間オーバーであったようだ。外からでは分からないことである。気丈な彩は、実はすごく繊細であったこと。今まで気丈に振る舞っていただけの繊細な少女であったのである。逆に言えば、だから優しく響くフルートが吹けるのであろう。
バスを60人乗りの大型バスを貸切り、A編成50名、引率の副顧問1名、お手伝い10名。顧問の三田は、ハープを運ぶため自分の車で移動する。「あれ、1名多い」気がついたのは、出発直前であった。お手伝いを9名にしなければならなかったのである。急遽、保護者会の会長は自分の娘、美奈を自分の車に乗せて移動することとなった。
楽器を学校からトラックに積み込み、バスに乗る前の点呼挨拶の際、顧問の三田は、
「バスは60人乗りで、A編成50名、お手伝い10名、副顧問1名で、1名乗れません。
美奈さんは、後から走ってくるそうです。がんばってくださいね。暑いから、ちゃんと水分補給するように!」と言った。
緊張して硬い表情のメンバーがほぐれて笑い出した。雰囲気作りでもある。彩もやっと笑顔になれた。
しかし、問題が起こった。60人乗りのバスの後部補助シート2座が外されていて、実質58名乗りとなっていたのである。保護者会会長も、役員も既に先に学校を出た後で、連絡が付かない。2人乗せれない。急遽メンバーの保護者に電話をして車を出してもらうこととなった。思い起こせば自衛隊の演奏会、その帰り、部長を置き去りにしてしまったが、今度はバス会社の手配ミスとは言え、2人置き去りとなってしまった。琴音とコントラバスであった。どちらも演奏の要である。このとき、この2人を残したのは、たまたま親に連絡が取れたことと、精神的に強いと顧問の三田の判断である。
焼津文化センターは、もう何度も演奏をしている。使い勝手のよく知った会場で、静岡市民文化会館よりも演奏経験が多いかも知れない。このメンバーにとっては、アウェーではなく、ホームの感覚である。ただ、今回は合宿練習をした関係で大ホールでの演奏経験が無い。音の大きさバランスは、出たとこ勝負である。2年生では初めてであった。何のことは無い。美奈は昨年の夏コンでメンバー落ちした事から、大編成での演奏は初めてである。幸い、アンサンブルコンテストで演奏しているが、あの時は緊張のあまり何も覚えていないようである。
噂だと、清水草薙中はこの焼津文化ホールで、ホール練2日やったそうである。昨年一つ前の演奏だった「魔女」が率いる学校である。ある意味その行動はさすがである。しかし山田中はこのホールでのホール練は考えていない。清水マリナートホールでホール練を行う。今回も元々はマリナートホール練を入れていたが、合宿のためキャンセルした。地区大会突破後の県大会前にマリナートホール練を入れている。
それは、ターゲットがここのホールでは無いからである。昨年は、県大会は静岡市民文化会館大ホール。今年の県大会は浜松のアクトシティ大ホール。静岡市民文化会館大ホールはなかなか予約が取れないこと。もちろん浜松は無理。できるだけ音響の近いホールとなれば、マリナートホールだからである。ホール練の目的は、ホール独特の響きや広がり感に慣れる事であり、子供達の緊張をほぐし安心感を与えることが目的では無い。どこまでも「音」にこだわる顧問の三田の考えである。
地区大会は、バランス調整無くてもいける。という判断ではあるが、今回のアクシデントで、今になるとちょっと不安となってきていた。保護者の中にも「まぁ、今回は、緊急入院とか合ったし、酷暑で練習もままならないし、仕方ないよなぁ」という諦めの声も聞こえるようになっていた。
静岡市内の大方の中学校はなぜか、1日前の金曜日の演奏であった。気になる清水草薙中も金曜日で演奏を聴くことはできなかった。ただ、山田中のターゲットは静岡市内の中学校ではなく、あくまでも浜松である。既に浜松は1週前に終了していた。県下一の高丘中はもちろん最優秀であるが、それ以外の強豪校が数校落ちている。その方が気になっていたのである。
静岡市内でも、顧問の池田のかつての仲間の清水飯山中の演奏から合流することなった。昨年、中文連の演奏を合同で行ったところで、あの時はB編成であったが、A編成で出てきた。演奏者は42名。演奏者が少ないハンディは背負うことになるが、A編で挑戦する。それはプライドでもあろう。
素晴らしい演奏であった。いわゆる冒頭の10秒で、完全にホールを飲み込んでいった。課題曲はⅡであり、直接比較はできないが、山田中にとって一番苦手な、冒頭の10秒。課題である。
そして、いよいよ山田中の演奏となる。
* * *
課題曲IV コンサートマーチ「虹色の世界へ」
冒頭の10秒。トランペットパートの中音量でのファンファーレ。全体を響かせた後、クラリネットパートにメロディーを譲る。このトランペット、4本で吹いていてパートは2パート。でも音は5つ聞こえてくる。どうしても中音量から弱音量の時、音合わせが難しいのである。小さい音でも濁ると汚く聞こえ、それが目立つファンファーレだと、致命的である。いくらチューニングルームで音合わせしても、会場入りしていきなりの「音」を出すのに、勇気が要るのである。他の人の音を探しているので、微妙に音程が変化したり、音量が変化しているのである。自信を持って「この音だ」と吹けていないのである。
そして木管パート。サックスのボリュームが強いのかクラリネットパートの音が聞こえてこない。山田中全体の音量が上がっているので、相対的に小さく聞こえてしまう。音程や音色には大きな問題は無い。明日香のパートである。ただ音量はどうにもならない。そのなかで、木低パートのバリサク、バスクラと、コントラバスが見事な低音域のリズムを刻んでくる。だんだん音が立体的になていく。
その後、トロンボーンとホルンとチューバが、大音量でまくし立てる。トランペットが中音で奏でる。また、ボーン、チューバが炸裂する。この時の小さな音から大きな音までの幅、ダイナミックレンジの広さは、今までの最高の表現だった。特にボーンとチューバの割れながらの炸裂音を、ホルンが見事に丸く収める。素晴らしいハーモニーであった。それに負けじと、フルート、エスクラ、オーボエの木管高音部の優しい揺らぎ。この対比が綺麗である。そして主旋律の全てのパートでの合奏。ここまで来ると、トランペットも安定して見事に調和している。
後半、クラリネットパートから、フルートパートが重なり、全体へと広がっていく。このなだらかな音の広がりは、練習の成果であろう。聴く方も自然と体が動いていく。そして、サックスパートが主音をリードして音の厚みを増していく。突然入るマリンバとフルートの高音。そしてエンディングへと駆け上る...優しいエンディング。まぁ、これが山田中サウンドと言うところだ。マーチだけど繊細で優しい。それはそれで良いだろう。
自由曲 ファリャ作曲 歌劇「はかなき人生」より「間奏曲」「スペイン舞曲」
後から継ぎ足した「間奏曲」であるが、じつは、全2幕の歌劇の間奏曲であり、この作品の全てが凝縮されているのである。しっかりと作品を理解していないと、イメージが共有できない繊細な曲である。
三保高校でのプレコンで初めて披露した「間奏曲」部分は練習の成果で、ミスはほぼ無くなっていた。課題曲とは一転して、こちらは木管楽器が中心としたクラッシック系であるので、ボリュームの小ささが致命傷にはならない。そのかわり、ハーモニーが美しくなければ聴くに堪えない事になる。小さくてもしっかりとした「音」が必要である。
冒頭は、第1幕最後のシーン「あぁー、なんてこった」という動揺を表す不協和音を含むフォルテッシモ。全ての楽器が奏でる大きな音の中に、トリルあり、不協和音あり、叫び声のような雰囲気からスタートする。
バスクラ2本、アルトクラ1本、クラリネット6本、チューバ2本、ファゴット2本、コンバス2本、ユーフォ2本、トロンボーン3本、ホルン3本、トランペット4本、オーボエ2本、エスクラ1本、バリサク1本、テナーサックス2本、アルトサックス3本、ソプラノサックス1本、フルート5本、(ピッコロ1本)、ティンパニー、ハープ、カスタネット、マリンバ、シロフォンという構成だった。まるで楽器博物館。
すかさず、問題のソロパート。結局、花愛のアルトサックスが担当したが、音の大きさはどうしようも無い。他の団体の演奏には、イングリッシュホルンが演奏しているケースもあった。顧問の三田は、できればイングリッシュホルンを使いたかったようだ。しかし、美奈にはまだその実力が無いと判断した。そもそも、オーボエの美奈から、クラリネットの明日香に移り、アルトサックスの花愛に落ち着いたのは、仕方の無い選択であった。
その後、フルートのパートソロの後、問題の合唱となる。今日の時点では練習の成果か、口を縦に開けて丸く前頭葉に響かせる声を出す子が何人かいて、ちょっと良い雰囲気で収まった。その後、梨華のエスクラ、明日香のクラリネット、1stフルートの今日子、代打の2ndフルートの4人でのセッション。彩のフルートがない分、どこか物悲しい音色であった。
そして、第2幕の幕開け。
いきなり早いフィンガリングで、スペインの踊りの様そうである。おそらく原曲は、もっと早いタンゴのリズムであろうが、それは今の段階では無理であろう。その昔、このテンポをまさにタンゴのテンポで演奏して、全日本出場の中学、高校があったと思われる。その演奏方法が時代考証や地域考察が取れているであろうが、何分技術が伴わない。ここも仕方の無い部分であろう。しかし、カスタネットが思ったより良い響きである。なんとか、「スペインの雰囲気」は醸し出していた。
そして、エンディング。
ブラボーとまでは行かないが、ひょっとすれば、「失格」も十分にあった波瀾万丈の「地区大会」であった。
演奏が終わると、会場の花道には自然に人垣ができ、メンバーがでてくると、拍手喝采であった。演奏者達はこの異様な盛り上がりに、ちょっと戸惑っていた。ささっと、記念写真の会場に向かうが、もう大騒ぎであった。メンバーもやっと実感が湧いてきたようであった。正直、今になって顧問の緊急入院手術の影響が出ていたことが分かる。彩がそうであったように、実はみんな浮き足立っていたのである。よもや「地区大会敗退」。もっとすれば「失格」で演奏すらできないという事態があったのである。
喜ばしいことは、明日B編成があるのにもかかわらず、B編成のうち6名は楽器運びなどのお手伝いに来ていることだ。花道で拍手をするが、メンバーの方が逆にハグをして「ありがとう!」と声をかけている。いままで、楽器を運んでくれたり準備をしてくれた人に、こんなにわかりやすい感謝の態度があっただろうか。素直に受け入れて、こころを表現できている。そんな風な行動であった。
結果発表である。部長の花愛は、メンバーに、「「金賞」と言われても、叫んだりしないこと。私たちの目標は、ここでは無いから。山田中の誇りを持って行動して!」と伝え、ステージ袖に向かった。結果発表の段階で、昨日の演奏だった学校の代表やメンバーが集まり、会場は生徒一色となる。保護者などは会場外で、ざわざわしていた。
プログラムの順に、「〇〇中学校、銀賞。...」と、ドライなアナウンスで呼ばれ、賞状を受け取りステージに戻るという、動きであった。「清水草薙中学校、金賞」とよばれ、「きゃーあ!、うぉー!」大騒ぎであった。ギリギリ瀬戸際だった学校が金賞で喜ぶのは分からないでも無いが、県大会を狙っている学校の行動としては問題であろう。逆にここで「銀賞」と言われて、「やったー!」という声も聞こえた。いつも上手くできなかった学校もあり、そのメンバーには銅賞では無い銀賞は、夢で会ったのであろう。逆にこの驚きの声は、微笑ましいと感じるのであった。
そして、「静岡市立山田中学校、ゴールド、金賞!」と呼ばれたが、だれも騒がず、シンと静まりかえった雰囲気が、逆に異様だったかも知れない。
帰りのバスは楽しい光景であった。
やっと、メンバーから隠しきれない嬉しい悲鳴が出てきた。部長は、「今日は、ホール練だったんだよ!」といって、爆笑が起きる。言葉では余裕の喜び方であるが、内心は躍り上がるほど嬉しかった。山田中は11年連続県大会出場している。でも、こんなに慌てた回があっただろうか。今になって、地区大会落ちがどんなに怖かったか、このはしゃぎ方は、その裏返しであろう。ところで、美奈は父親の車に乗って帰ったので、この喜びの光景を見ることができなかった。行きに乗れなかった2人は、今度こそバス会社に再確認をして60人乗りが迎えに来たので、ちゃんと乗ることができた。
* * *
さて、翌日は、B編成であった。くじ運が悪く、朝3つめの演奏で、早朝から夜までかかる長丁場となった。お手伝い組を除くメンバーは、昨日、通しの練習をしただけであった。この子達にとって、初めてのコンクール出場である。それは2年生も同じである。保護者会の誘導もあり、はじめてのコンクールで、しかも先輩達のいない、自分たちで判断をしなくてはならないのであった。演奏のことよりも、その方が緊張しているようであった。
朝早いので、他の学校の演奏を聴く間もなく音だし、チューニングを行い、そして会場袖で待機。反響板の隙間から見える明るいステージと、真っ暗な客席。そして前のチームの演奏。そして拍手。さて、自分たちの番となる。もうこの次点で、頭は真っ白となっていた。みんな目をまん丸にして、ロボットのようにギクシャクと座席を整え、譜面台をセットする。そして、よく分からないうちに、三田が指揮台に立ち、そして、演奏が始まった。
カルカソンヌの城 広瀬 勇人 作曲 30名
2年生からトランペットが2名メンバー入りしている。早い話、A編メンバー落ちである。昨年の美奈もメンバー落ちで、楽器運びであった。それを考えれば、演奏出来るだけ良いのかも知れない。この2人、決してトランペットが下手なのでは無い。ちゃんと音程も音色も気持ちの良い響きである。十分A編でやっていける実力はある。だからこそ初めて楽器に触れて3ヶ月の1年生を優しく且つ力強くリードしてくれていた。この子達の目は輝いていた。つまらなそうにとか、悔しそうではなく、自分に課せられた使命をよく理解して、1年生に目を配りながら、楽器運びも、譜面台の位置合わせも、積極的に動いていた。そして演奏も同じであった。
トランペット、トロンボーンが力一杯、ファンファーレを吹いている。もちろん、今の段階では他人の音に合わせると言うレベルでは無い。とにかくまっすぐな音を間違いなく吹ききること。それにつきるのであるが、ここに2年生の音としてのリードが欠かせない。その主旋律に合わせようとしっかりと聞き分けながら、1年生が付いてくる。ファゴット、バスクラ、バリサクと、ちゃんと次のことも考えて楽器を配置している。
フォルテも、フォルテッシモも無い。クレッシェンドもデクレッシェンドも無い。ひたすら同じ音の大きさで、まっすぐ吹く。
第2部、トランペットのソロのファンファーレから始まる。2年生の出番である。ソロの直後にトランペット5本が演奏を始めトロンボーンなどに広がっていく。トランペットパートもトロンボーンパートも1つのようだ。しかし、音はいくつもの微妙なずれで重なっている。とにかく自分の音を出すことに必至である。間違わなければ良い。音程や音色、何のこと?
そして、演奏が終わった。吹き終えた、という顔で、満足とか、そういう顔では無かった。笑いもなく余裕が無い。とにかく、「終わった」という安堵の表情であった。
演奏終了後、花道には、保護者会を始め、3年生、2年生も何人か人垣を作っていた。先輩達は誰かの保護者の車をやりくりして、20名以上も駆けつけていた。B編メンバーがでてくると、3年生が泣きながら、ハグを始めた。むしろこの歓迎ぶりに1年生が驚いた。花愛は目が真っ赤にしながら、「すごかった!良かった!」とメンバーをハグしていた。A編のメンバーは、合宿最終日以降、B編の演奏を聴いていない。あの時よりもさらに上手くなっていることが率直に嬉しかったのだ。
A編の演奏終了の時の盛り上がりを超えた、まるで、金賞でも取ったかの喜びようであった。
B編で挑戦する。このことは、何もしないで野放し状態の1年生対策という意味で、確実に効果があった。しかし、それ以上に、3年生をはじめとしたA編成メンバーの心に、優しさと愛情というものが成長して行動が取れるようになったという変化をもたらすこととなった。
思い起こせば、1年前、なかなか言うことを聞かない1年生をけなし、1年が動かないから、だめなんだと言い切った当時の2年生。1年生が新しく入ってきて、楽器運びも上手くできないと、1年をけなし、指導が悪いと2年を叱りつける。よもすれば、そんな感情を抑えきれなくなり、合宿前に2年とぶつかり、2日間練習中止自宅待機を余儀なくされた、あれから1ヶ月。
確実に、心に変かができているのである。
これが部活なんだ。これが吹奏楽部なんだ。
そんなことを感じることができた、地区大会で会った。
最終の結果発表まで、時間がたっぷりと空いた。駆けつけた保護者や、3年生は、他の中が高のB編成の音を楽しんでいたが、1年生はさすがに気が抜けてしまっていた。当日は非常に暑く、ひとり、疲れて早退した。そんな日であったこともあり、顧問の三田は、会場横の噴水に1年生を呼び、水浴び始めてしまった。1年生も楽しそうに足を水につけて、水を掛け合っていた。そこはまだ子供である。顧問の三田も、しばし子供と戯れる「夏休み」のようであった。
B編成の結果は、聞くまでも無い。3ヶ月前に初めて楽器を持った子達である。度胸が付けばそれだけで貴重な経験であった。
と、なんと、「ビリでは無かった」との事。
真剣に3年も入れた部活として挑戦している学校もある中で、1年を中心としたメンバーで、ビリでは無かった。これは快挙である!結果発表の後、学校での解散の前に顧問の三田が発表した際、大歓声と全員がハグをし合う祝宴となった。
一つの伝説が生まれた。
めざせ!東海大会♪
※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。