
かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。
めざせ!東海大会♪ シーズン2
地区大会は、かろうじて突破できた。しかし、課題は山積していた。顧問の緊急入院のこともあったが、中途半端な気持ちで地区大会に出てしまったことは否めなかった。しかし、その個々の課題は、みんな分かっていた。
審査員から、生徒向けに好評が発表され、各メンバーにコピーが出回った。指導者向けにもあるようだが、メンバーの一番気がかりなことはここにあった。自分たちの演奏を、審査員にはどう映っていたかである。
概ね,次のような内容であった。
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課題曲
中低域の響きは魅力的であった。ホルン、トロンボーンのサウンドがとても良い。全体として音のバランスは良いが、トランペットの冒頭、途中の信号ラッパ部分、3連符は気をつけること。クラリネットはもう少し出すように。他のパートはこれ以上下げられない。フルートはもう少し出しても良い。ビブラートを入れて大きく出してみよう。弱音部が雑になる。
自由曲
課題曲同様、全体によく練られた構成で良かった。弱音部が濁った感じ、メリハリが無くクレッシェンド、デクレッシェンドが効かずまっすぐな音になっている。3拍子が取れていない。指揮に合わせるのでは無く、アンサンブルに注意しよう。フレーズが重なり合うように流れると良い演奏になる。全体的に表現を付けましょう
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トランペットの音が濁っていて小さいこと。それを「小さくて濁っている」とは書かないで、「3連符が出来ていない」「3拍子が出来ていない」と具体的に指導してあった。実に明快である。
さて、そうはいっても、それをどのようにして改善していくのか。いずれにせよ1週間しか無い。根本的な解決を目指すことはもう時間的に無理である。今あるこのメンバーの水準でどのようにまとめるかを、指導者は具体的に練り上げて、カリキュラムを作っていった。B編に出ていた関係で、他校より1日少ない。それも考慮しなければならない。
合宿の時お世話になった、高山氏を再度オファーした。今度は、最終、大会の会場まで指導、同行してもらえることとなった。これからの練習は、全て合奏練習となる。もう、個人練習もパート・セッション練習も無い。ひたすら合奏練習である。もちろん、琴音のスネアに合わせた、全員でのロングトーン、スケール、和音のいつもの基礎練習をやってからである。
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さて、今回の難しいところは、ホール練を1回しか設定できなかったことである。昨年は、地区大会前に3日間、県大会前に1日、マリナートのホール練を入れた。今年も同様に予約を入れてはいたのだが、2泊3日の合宿を入れ、その日にちの組み合わせと重なったため、地区大会前のホール練は無くなってしまった。山田地区生涯学習センターのホールを急遽借りたが、それはホール練と言うよりも、冷房の下での練習という意味合いが強かった。従って、ホールでの音場の広がりは全く出たとこ勝負であった。音量調節は、地区大会後のマリナートで調整することとなった。
地区大会の、焼津文化センター自体、音の環境が悪いので、そのために調整する必要も無いと判断もあった。ちなみに、我々をライバルと思っている清水草薙中は、焼津文化センターを2日借り切ってホール練を入れている。草薙中も地区大会を突破して県大会に臨む。その週の週明け月曜に、県大会の会場の浜松アクトシティ大ホールのホール練を入れている。さらに大会前日にマリナートでホール練を入れていた。気になるところではある。その他、B編も入れた3校が、アクトシティホールのホール練を入れているようだ。これは外部講師が同じで、3校順番で練習をするようだが、そんな短い時間で何ができるのだろうか。
なぜ、ホール練が必要なのであろうか。
狭い音楽室や体育館では、音の響きがホールとは全く異なる。また審査員席はステージから14m以上離れていて、そこまで音がどのように伝わっているか、見当が付かないものである。今必要なのは、審査員席にこのメンバー最高の音を届けることであり、その際必要な音の構成を調整することが第一の目的。次に演奏する子供達が、圧倒的に響く大きな観客席のホールの雰囲気に呑まれて緊張し、本来の音が出せなくなることを防ぐこと。場慣れさせることである。
後者に関しては、月に1回、演奏会を企画して、人に音を聞いてもらうと言うことに慣れさせてさせてきた。大きな会場でのホールの雰囲気と言うことであれば、自衛隊の音楽祭で4000名の観客の前で演奏をやってきた。静岡市民文化会館大ホールでは、中文連、定期演奏会と2回ステージをこなしている。もちろん、アクトシティーホールは全く行ったこともない。そのために、春の工場見学の際、アクトシティーホール見学を予定したが、会場は演奏準備中で見ることは出来なかった。それでも、搬入口、楽屋口、ホワイエ、エントランスと、周りを見学することは出来た。
全く初めての会場で、しかも周りは全て浜松の学校というアウェー感は、中部日本吹奏楽コンクールで経験済みである。単に興味半分でアクトシティホールで演奏しても、大きな事では無いと考えていた。仮に東海大会に行くとしたら、名古屋国際会館センチュリーホールでホール練を入れるのだろうか?というか、そもそも1年前からでないと予約できまい。で、会場の雰囲気の呑まれましたと、言い訳をするのであろうか。
確かに、会場でのホール練は、出きればやった方が良いかも知れない。ただ静岡勢でこの1週間で2日も取れると言うことは、浜松勢はやっていないと言うことであろう。もっとも浜松勢は、地区大会がここである。場慣れしていると言えばしている。では静岡大会の時、浜松が静岡市民文化会館を予約していたかと言えば、そうでは無い。昨年、清水草薙中は、マリナート練を5日入れたという。それでいて県大会銀賞である。何を目的に練習を重ねるかが重要だと考えた結果である。
保護者的には、マリナートのホール貸し切りは値段が高く、昨年は部費ではなく、実費負担を追加徴収して行った。今年は部費の中で収めたが、逆に合宿は実費負担とした。とかく保護者は昨年と違うことに抵抗を感じるもので、昨年やったことの無い合宿には賛否両論で、昨年やったホール練が少ないことに批判的である。そこで何をやるかは専門的でよく分からない。形から評価するので、目に見えないチームワークの重要性よりも、耳で聞こえるホールの響きの方が分かり易いようである。
昨年はホール練を重視して、一昨年前は、それぞれ1回しか入れなかったホール練を2回増やしたのであるが、それでも、「だめ金」であった。何が足りないかと言えば、心を一つにする「チームワーク」つまり、合奏の基本中の基本であったことからの反省であるが、そのあたりは「わからない」と逃げる保護者達である。
ホールは、音の響きが良い。この響きはどうして生じるのか。それは、床、天井、左右、後ろの反射板、そして、ホール全体の容積や壁反対側の壁の構造、凹凸、素材、そして空調。そのホール特有の物である。そういう意味で、会場でのホール練は、重要な要素である。でも、会場は1カ所しか無く、それができないから音が上手く出せなかったのでは、単に音作りができていない、指導者の責であろう。しかし、全く1回もやらないのでは、音作りも不可能である。最低1回はやるべきと思う。
1日しか無いマリナートのホール練は、緻密に、効率よく行われていった。
まず、課題曲IV。冒頭の10秒のトランペット問題。トランペットは中音量で、ボリューム的に問題は無い。ではなぜ足りないと感じるのか。それは周りが大きいからである。そう指導者は見抜いた。ではなぜ大きくなるのか。それは上手くなってきたからである。例えばトーロンボーンとホルンとユーフォ。低音域のボリュームを司り深みを出しているが、ここが音が合わないと、気持ち悪いとしか表現しようが無くなる。吐き気がするかも知れない。しかし、ここの音程が合うようになってきた。そうなると4本のトロンボーンが、2つの譜面で奏でていることが分かるようになる。楽譜が変わったのではない。今まで音程やテンポがずれていたので、音が4つ聞こえていたのだ。これが2つに集約されると音圧は2倍に上がり、結果、音が大きく聞こえるのである。さらに、ここにホルンが楽器を持ち上げて大音量を出す。ホルンとは、普段は牧歌的な優しい響きをするが、強く吹くとトロンボーン並みの激しい音が出せる面白い楽器である。なぜならば、ベルの中に右手を入れて、なかでグーチョキパーを出して、わざわざ音の出る管に抵抗をいれて音程を変えているからである!
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そして、課題曲IVの場合は、トランペットはメロディーと木管部の相の手を端として、金管のボリューミーな部分とは違う動きをしている。そのため、音がかき消されて相対的に小さく聞こえるのである。そこで、まず、全体のボリュームを下げることにトライした。
課題曲IVは、スネアドラムが全編を通じてベースとして流れているマーチである。このスネアの音量を極少量音ピアニッシシモとした。ほとんど聞こえるか聞こえないかである。さすがにここが小さくなれば、みんな音量は小さくなるのである。さて、これを支えるのが、琴音である。スネアドラムは、音の速度が速いので、壁などにすぐに反射して反響音が帰ってくる。このわずかな遅延の音が邪魔をして、ついつい遅くなっていくのが常である。しかし、琴音は遅延反響音などものともせず、正確なリズムを刻み続ける。毎朝の基礎練習の時のように。ストイックな琴音にしかできないテクニックであろう。
さて、この正確な小さなスネアの音が聞こえると言うことは、トランペットの3連符が揃う結果を出した。いままで、スネアが聞こえないので、指揮者の指揮棒を目で追って3連符を吹いていたのだ。だからわずかに遅延し、音を濁らせ小さくさせていた。テンポが揃い3連符が吹けると、自然と音が大きくなる。当然の結果である。
次に、全体のユニゾンから、クラリネットのパートソロになった途端のボリュームダウン。これは、全体の音が下がったことでからに解消された。それでもサックスパートが元気よく、他の音をかき消している。そこで、ステージ向かって右側に集中配置していたサックスパートを1列に横の伸ばした。指揮者を中心に半円を描き、その1列目、左から、エスクラ、クラリネット8本、アルトクラと10名を並ばせる。次2列目は、左から、ピッコロ(フルート持ち替え 、フルート5本、オーボエ2本、ソプラノサックス(アルトサックス持ち替え)、アルトサックス3本。と並ぶ。ここまでは従来通りだが、この後ろに、左から、テナーサックス2本、バリトンサックス2本、バスクラリネット2本、チューバ2本、コントラバス2本とした。さらにその後ろは半円状では無く、直線的に、ホルン3本、ファゴット2本、ユーフォ2本、最後列にトランペット4本、トロンボーン4本という配置となった。
これで、サックスの音が分散され、クラリネットの音が前に出てくるようになった。まず、各人のボリュームもさることながら、楽器の配置を換える。それだけで、これだけ音場が変わってくる。さらに、このことで他のパートがクラリネットの音を聞きやすくなる。メロディーを聴くことが出きるのである。そしてこのメロディーが聞こえることで、自然とメロディーを消さないような音量を意識するようになる。
口で、「人の音を聞け!」「その音に合わせろ」というのは簡単であるが、どの音を聞き出して、どこに合わせるのか。フレーズ毎指示するのも良いが、現場の音でわかりやすくするのも大切なことであろう。
クラリネットからフルートへメロディーが渡される。地区大会は出場できなかった彩がしっかりとセカンドパートを吹き上げる。今日子のファーストと見事な調和である。もう、夜も眠れなかった彩はそこにはいなかった。演奏がプレッシャーでは無く、楽しい。そういう表情であり、そして、そういう音になっていた。
課題曲は、配置を換えただけである。それだけでほぼ完成の領域になってきた。指摘のあった3連符など、特になんの練習もしていない。何回か指導が入りやり直しをしたが、1回できると、もう、そのまま吹けるようになる。下手で合わなかったのでは無く、どこに合わせるべきかが人それぞれ違っていたと言うことである。それが明確になれば、自ずと同じテンポと音程になっていくのである。ある意味、合わせるべき「音」が分かれば、指揮者は要らないかも知れない。正確な琴音の刻むスネアのテンポが全てである。
自由曲は、間奏曲の冒頭のソロの部分は、結局、アルトサックスの花愛が担当することとなるが、音が大きいことはどうしようも無かった。そこで配置を換えて最前列から奥へ移った。オーボエの美奈の横である。さて、しばらくすると、コントラバスからクレームが入る。というか、オーボエ、アルトサックス、バスクラから、チューバが隣だとメロディーが聞こえない。と。
確かに、さらにその後部が、ホルン、トロンボーン、ユーフォで重低音地帯。これだとメロディーラインが聞こえない。そこで、コントラバスとチューバを入れ替えた。バスクラの横、オーボエの後ろにコントラバスが来た。チューバは勢い、ステージ最右翼の最前列に躍り出た。
今度は、ソプラノサックスから、「ここだと高音部が聞こえづらいです」とクレームが出た。いままで、オーボエの横にいたので良かったが、客席最前列にでて、前はアルトクラ、後ろはチューバ。これもたまらない。そこで、オーボエの美奈の横にソプラノ、その横に花愛のアルトサックスとなる。課題曲とは、花愛の位置だけが最前列から、2人中央寄りへ変わることとなる。このように出ている音に合わせて、微妙に位置を変えていくのであるが、これは指導者の意見ではなく、演奏する子供達からの意見であった。
なるほど、自分の吹く音しか興味がなく、勢いよく吹いていたときと違い、合わせるとなると、何が邪魔で何が欲しいか、明確に判断が出きるようになっていたのである。一度生徒の提案で変更した位置で演奏して、指導者から「これで問題が無ければ、良いでしょう。これでいきましょう」と決まった。
さて、大きく替えたのは、カスタネットである。今までは、マリンバの後ろで隠れるように演奏していた。パーカスの子は音が大きいから余計に控えめである。いつも「うるさーい!」と言われるからであろうか。スペイン舞曲の要である、カスタネット。3拍子のベースでもある。本来はスペインのフラメンゴのリズムであるが、そのスピードは不可能である。せめて雰囲気だけでもスパニッシュでと言うところで、もっとカスタネットを強調しようと最前列に持ってきた。左足を手製の箱にのせて、膝上にカスタネットを当てて音を出す。スカートだと音を吸収するかも知れないと思い、おもむろにスカートをまくし上げ、直接当てることとした。どうも、しっくりこないので、微調整をするが、1stトランペットと、指揮者と、カスタネットの位置を正三角形として、カスタネットは指揮者と同じラインまで前に出てきた。客席側からも相当のインパクトである。これは、3者の位置関係を等距離にして、遅延効果を打ち消すことが狙いであった。いままで、3拍子が取れないのは、お互い指揮に合わせていたからであり、そのため遅延が発生してさらに、それが、ペットとカスタネットで微妙なずれが生じて、音を濁らせていたと分析したのである。
そしてこれは見事に的中していた。音はいとも簡単にピタッと合ってきたのである。ただ一つ問題が。審査員席から講師の高山氏から、「うーん、中学生にしては、ちょっと色気が強すぎるなぁ。スカートの上からでも対して変わらないだろう」と指摘が入った。これには、本人も部員もみんな笑うしか無かった。中学生とはいえ、ドキッとする色気である。それでも、スカートをしっかりと翻して、その上からカスタネットを叩くとしても、背筋を伸ばし、左足をすらっと足先まで力を入れてピット差し出すポーズは、ほのかな色気が感じられる。ずるいかも知れないが、ビジュアルも大事であろう。
まだ、メロディーが聞こえなくなる点がいくつかあった。逆に、今まで聞こえなかった音やフレーズが聞こえてくるようになった。全体がもさもさしていた、河川敷の雑草から、整った日本庭園が見えてきたようである。さざ波で表面が白く反射しているような湖面が、シンと、真っ平らになり透明度が増すと、湖底から見事な水中花が見えてくる、そんなイメージだろうか。そうなると、逆に今まで気がつかなかった問題点が出てくる。
前のハーモニーが残っている時に出る、掛留音や、先取音などが、強すぎたり、出ていなかったり、タンギングが出来ていなかったり。聞こえない音が聞こえると言うことは、聞こえちゃいけない音が聞こえたり、聞こえるべき音が逆に出ていなかったことがばれてくる。それは、演奏者が一番分かっているようだ。なんとなくごちゃごちゃ聞こえるのは、いままで、雑草で隠していたゴミが見つかっちゃったそんなイメージであろう。
さて、最終は、講師の高山氏が指揮を振って、顧問の三田が審査員席で聴き、次に顧問の三田が指揮を振って、高山氏が聴く。その結果を持って、再度通しで合奏をしてホール練を終える予定であったが、最終1回の合奏を中止して30分早く終了とした。それは、結果最後の合奏がすこぶる完成度が高かったからである。いたずらに回を重ねるのでは無く、いまの余韻をイメージしようと言うことであった。このとき、演奏者は涙を流していた。指揮者も満面の笑みであった。何人かホール練を見に来ていた保護者も涙を流していたのである。やっと、一瞬、みんなの見ている物が同じであったことを実感できた。
* * *
さて、昨年もそうであったが、今年も高山氏の指導が入ることを不安に思っている保護者や生徒がいた。それは、顧問の三田と微妙に求める方向が違うので、どちらに従うべきか迷うからである。保護者会の会長も、合宿の夜、高山氏にそれとなくその話をした。そんなこともあり、今回は、高山氏と三田が相当話し込んできたようである。基本的には、音場作りは高山氏が行い、顧問の三田は、その専門的な指導を分かり易く生徒に伝えると役割分担しているようであった。
しかしながら、実はもともと方向性は似ているので、その時その時全く違うことを言っているのでは無いことも分かってきた。つまり、生徒達はまた求める全体像がつかめていない。どうしたいのか、イメージの共有が出来ていなかった。そこにもって、一つ一つの音について細かく指導されるので、瞬間、右を見て左を見てと、どちらを言っているのか戸惑ったのであろう。しかも、それは現場で響いている音と、楽譜の音があまりにも違っていて、それが音程が悪いのか、テンポが悪いのか、単に指の間違いなのか、それすらよく分からなかった「ただ気持ち悪い」音でしかなかったから、指導する方も指導される方も、共通のイメージが無かったことが原因であろう。しかし、濁りが減って透明度の中に可憐な水中花が見えるようになってくれば、何を言いたかったのか、やっと理解されてくるのである。
「ん?今のはトランペットの2nd.か?」「はいっ!」これでお互いが通じているのである。だから意味が分かるので、やり直せば1発で音が整ってくるのである。合宿の頃の「何言ってんのぉ」「どうすれば良いのぉ」「もうやってられない!」という小声は既に無く、指導者のひと言ひと言を集中して聴いて返事をする。「はい!」と。中学女子のかわいらしく高く、でも意思のはっきりとした「はいっ」である。
ホール練が終わり、保護者会の会長が、トランペットの杏に駆け寄り「トランペット、すごく良くなったね。やっと音があってきた。冒頭の10秒、克服できたね!」と褒めると、杏は嬉しそうな笑顔で「はいつ、もっと上手くなりますよ!」と返してきた。嬉しそうであった。いつも恥ずかしそうに下を向いて、「えぇ、ほんと、もういや」「ぜんぜん、出来てないよぉ」と言っていた杏である。吹っ切れたのであろう。
これが全てを物語っている。最後まで調整が出来ていなかったトランペットが固まった。まだ、多少手直しが必要だが、今持てる全ては出せたようだ。
確かに東海大会には出たい。浜松を抜いて東海大会に出たい。それは変わらない。しかし、あまり他の事が気にならないようである。コンクールで上位入賞するためになにが必要かでは無く、できうる全てをやってきた。自分たちでも満足のいく結果であろう。これがどう評価されるかは、「結果」でしかなく、代表に選ばれるために演奏するのでは無く、自分たちの持てる全てを出し切っていかに満足な結果を出せるか。それが、東海大会出場か、あるいは全く力及ばず、銅賞に終わるのか。ある段階に達すると、どちらでも良くなってしまった感じが漂っていた。
それより、この1音1音を詰めていくこの作業、合奏練習自体が、楽しく有意義であった。本番はわずか12分。でも、それは全ての結果でしか無く、吹奏楽の素晴らしいのはそこへの過程である。つい数日前まで、誰が下手とか、練習をやってくれないとか、楽器搬送で1年が動かないのは2年の指導が悪いからとか、とかく人のせいにしてお互いが文句を言ってガタガタになっていた部活動である。でも今は違う。みんな楽しそうに練習をしている。練習を終了してもみんな笑顔で、仲間といろんな話をしている。それは、今日の夜のドラマの話でも、誰かの噂話でもなく、演奏自体のここが良かったとか、ここが難しいよねとか、しかも笑顔である。楽しいのである。この異様な光景。今までにこの山田中には無かった光景である。まるで定期演奏会を終わった後のような雰囲気である。
口々に、「あの時間、楽しかったね」「永遠に続くようだったね」と讃えていた。
これが同じ方向を向いた瞬間の感想なんだろう。東海大会など上位大会に行く常連校は、ここから10回通し練習となるのであろう。そういう意味では、この段階にたどり着くのが遅かったかも知れない。でも、達成感は半端ないものであった。
まだ、コンクールが終わったわけじゃ無い。というか、これからである。気も抜く場面じゃ無い、これから、3日で、最終仕上げをしなくてはならないのである。でも、このメンバーにとって既にそれは、重要な課題では無いであろう。課題はもちろん自分たちが一番分かっている。今のままでは、上位入賞は難しいかも知れないことも十分分かっている。満足しているわけでは無い。しかし、このチームワークに満足しているようである。確実に、一つの方向を全員で見ている。それだけは確実に分かる。もう、部員同志の駆け引きも足の引っ張り合いも無い。みんな同じである事が嬉しいのであろう。
音が小さければ周りが音を下げて、相対的に良いハーモニーを作ろうとする。まさに、助け合いの「合奏」である。
これが、吹奏楽部なんだろう。
* * *
県大会当日は、バス2台に全部員連れての大移動であった。それは、今回B編だったメンバーも、来年はA編で挑戦することになる。大会というものを肌で感じてもらいたいと言う思いからである。また、トラックからの楽器の搬入時間や、その後の音合わせチューニング、待機、また、楽器の搬出、等の人、物の流れを体得してもらいたいという思いである。
楽器搬入は、B編のメンバーに活躍してもらった。特に今回B編になった2年生が率先して動いていた。心の奥では、出れないことを悔しいと思っているであろう。でも、出ているメンバーのために汗を流していた。琴音は自分の演奏するハープを、顧問の三田の車から下ろし、大ホール楽屋前のコングレスセンターロビーにて待機をした。顧問の三田が車を移動して駐車した後、チューニングをするためである。建物の中とはいえ、普段は人が多く通らないスペースで、エアコンは効いていなかった。補助にB編の2年のトランペッター2人が付いていた。楽器の搬入時間が迫ったので、全体のコントロールは琴音が仕切ることになっているので、琴音は2年生にチューニングと、その移動を託して搬入口に向かった。
2人切りとなって心細い所に、外国人が3人近寄ってきた。体の大きな男の人が、ニヤニヤしながら、ハープをピーンと引っ掻いて行った。その直後、心配になり保護者会会長が様子を見に来て、2人はほっと緊張の糸が切れたようだった。近くに水飲み場があったので、その場所を案内すると、喜んで水を飲み、顔を洗って粗熱を取った。同時に疲れが出て、その場所に座ることとした。ロビーは、大理石の床と、同じく大理石の柱があり、ピタッと柱に背も垂れて座ると、ひんやりと体が冷やされて気持ちが良かった。顧問の三田が来たので、恐る恐る、外国人に引っかかれちゃったことを伝えた。顧問の三田は、一瞬「なってこった、見張りを付けた意味が無いじゃん」と思うも、「今度来たら、これで殴っちゃえ」とチューニング用のレバーを手渡し、みんなで笑うのであった。
楽器の搬入も終わり、A編がスタンバイできると、全員が観客席に移動することとなる。ここからは、メンバーと部員は離ればなれとなる。メンバーは、タイムテーブルに従って音だし、チューニングを行い、ステージ裏に集合することとなる。
観客側は、プログラムの順に各校の演奏を聴くことができる。なんと2校前が浜松高丘中学校である。全国大会常連校である。しかも課題曲はIV。同じである。高丘中は、女子の前髪を全てオールバックにピン留めさせる徹底ぶりで、まざまざと違いを見せつけてきた。音の大きさ、強さ、そしてバランスとハーモニー。なるほど,レベルが違いすぎる。ここを抜くことは、並大抵ではできないと感じるのであった。せめてもの救いは、A編メンバーはこのとき、チューニング中でこの音を聞いていないことである。この音を聞いてしまうと、あっと押されてしまったであろう。
そして、山田中の演奏となる。課題曲IV。トランペットのファンファーレから入るが、「中音」であるが、この時点で圧倒的な音が小さいこと、誰が聞いても「えっ!」と感じてしまうであろう。その後のクラリネットパート。耳が慣れるまでは聞き取れない小ささであった。でもこれが今のメンバーの精一杯の音である。リード鳴きは無かった。無理はしていない音である。正確なスネアと、ぴったりと合った3連符。音量はともかく、一つ一つの音を大事にしたハーモニー。コンバスの揺らぎがこんなにはっきりと全体を包んでいて、その中で金管と木管が跳ねているような雰囲気であった。
自由曲は、「間奏曲」の大音量の出だしを、ちょっと音量を落としての演奏に変えてみた。一つ一つの音が際立つが、インパクトはちょっと弱くなった感じである。花愛のアルトサックスのソロとつなぎ、全体合奏へとメロディーは流れていく。そして、例の合唱である。ちょっと緊張したのか、堅めの歌い出しである。口を縦に開けて唄うことがやはり難しいのだろう。しかし、そこから繋がる、フルートのデュオ。今日子と彩の完璧なまでのハーモニーであった。ここで自然と目から涙が落ちていくのに気がついた。
これが、全てだろう。ここにつきる。
よもすれば、ひとり暴走して突っ走る今日子の1st.フルートと、「私ソロを吹きたい」宣言で、全体を揺るがした彩の2nd.フルート。まさにバラバラだった、山田中の吹奏楽部すべてを言い表したようなパートであった。しかし今の演奏は違った。今日子は体のスウィングもビブラートも抑え気味として、彩の動きに視線を移す。彩もそのリズムと音色に自分の音を合わせて、ハーモニーを意識して演奏する。この呼吸、音色、強弱、空気感。全てが一体となり、アクトシティー大ホールを包んでいる。全ての聴衆の耳がこのフルートを堪能しているようであった。全ての雑音が消え、時が止まり、対のヒバリがアクトシティー大ホール会場内を飛び交う、そんな演奏であった。
「スペイン舞曲」は、カスタネットを際立たせる方向に戻した。一度スカートでかくした足を、再度スカートをまくし上げ、膝に直接カスタネットを当てる演奏法に変えた。この方が確かに、カスタネットの響きが鋭く、歯切れが良くなる。しかし、ステージの一番前に一人ぽつんとたってのまるでカスタネットのソロのような演奏である。土肝を抜く演出であろう。琴音のハープは、ビンビン響き、コントラバスと相まって、この曲、管弦楽だよね、と思わせるほど、弦の揺らぎが全体を包み込んでいる。弦と管と打と、それぞれの音の違いを尊重しつつ、ハーモニーを奏でる。こらが「合奏」であろう。
全てを出し切った演奏であった。ピタッと終演した際、部員達は既に泣いていたが笑顔であった。指揮者の三田も満面の笑みであった。会場を出た花道には、B編メンバー、保護者、みんなが集まっていて、全ての目が涙していた。
めざせ、東海大会。ある吹奏楽部の挑戦は、この演奏が全てであった。
~ 完 ~
※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。