top of page

終章

エピローグ

めざせ!大集合14人衆900-min.png

 かつて黄金期とまで言われた、地方中学校。担任が変わったこともあり、A編成すら維持すら心配されるようになってしまった。「これではだめだ!私が3年で東海大会に連れていく!」新たな吹部顧問を迎えて、新生山田中学校は、東海大会に向けて、新たな挑戦を始めるのであった.....。

めざせ!東海大会♪ シーズン2

 美奈たち3年生は、受験対策で部活から離れ、2月に私学高校受験、3月に公立高校受験と、それぞれの関門が待ち受けていた。後輩達2年生達は、9月より新体制となった新しいメンバーでの活動をはじめていた。昨年、花愛が新部長となり、部活をコントロールするも、誰も動かず、「花愛、だいじょうぶ?」の問いかけに、「大丈夫じゃない!」と叫んでいたのが、ついこの前のようであった。
 2年生の新部長達は、「昨年達成できなかった、夢の実現!」と、東海大会へ出場することを再度目標に掲げ、練習が始まるのであった。
 それと同時に、部活の時間短縮という流れが、影を大きく落とし、他校では土日の練習が大きく制限されたなどという話も伝わりはじめ、いつまで「吹奏楽部」の活動ができるのか、不安な日々が続いていた。来年4月になれば、山田中も校長が替わる。これは、校長の定年だからもうわかっている事であるが、現校長は、部活動に対し大いに評価をしてくれていたが、新校長がどういう判断を下すかは、全く予断を許さない状況であった。
 新体制では、昨年の結果を大いに反省をして、前半戦はまず合奏よりも個人の技量向上を目指し、アンサンブルコンクールに焦点を当てた練習活動を勧めていった。
 また、編成の見直しがあった。昨年までは、どうしてもクラリネット軽視であったことは否めなかった。少しでも肺活量が見込めると、サックスや、バスクラリネットなどを担当させ、その他大勢がクラリネット担当という、楽器選定の流れがあったことが、結果的にクラリネットパートの音量が出てこないという結果を招いたことは一目瞭然であった。子供の身体の成長を予測することは難しいが、数が多いから音が大きくなるとは、中学生の力では、まだ一人一人の音が確実な音とならないので、難しいところであろう。サックスパートを半分にまで落とし、バスクラリネットも1人で担当させていくこととした。

 また、各パート毎、外来講師を呼び、基本的なことからテクニカル的な事まで、顧問の三田が目の届かない部分までカバーできるようにと細かな対応をはじめていた。

 昨年、まちなか演奏会での大失敗をした当時1年の金管チームは、その後の大進撃で学内一の演奏力を持った頼れる2年生となって、チームの中心的な存在になっていた。2年のトランペットパートは3人いるのだが、夏コンの時A編メンバーになったのは2人で、1人は1年主力のB編成での出場であった。下手なのではなく単純に人数合わせである。1年生をまとめながら、悔しくもA編成チームのサポートに回っていた。それは、2年前のまさかの選抜漏れの美奈と同様で、人数が多い部活では、仕方のない事でもあった。
 しかし、その悔しさと一旦メンバーから外れて見直した、全体の動きの問題点に気付くようになっていて、新しいメンバーの中では頼れる存在に成長しているのであった。メンバーから漏れたり、楽器変更させられて嫌になってしまう子、それをバネに成長する子。それぞれである。

 その結果、金管チームは見事にアンサンブルコンテスト地区大会で金賞、県大会出場となった。昨年は県大会出場ならずである。山田中として見事にリベンジを果たしたのである。その中心的な存在はトランペットであった。

 そして、昨年は繁華街のショッピングモールの入り口での開催であった、アンサンブルコンサートが、今年はメインストリートのシンボルロードという広場での演奏会に成長し、山田中としても、全メンバーが参加することとなった。
 今年は規模が大きくなり、静岡市内で、12校の中学校吹奏楽部および、1校の高校吹奏楽部のアンサンブルチーム、52チーム、298名の演奏者という規模になっていた。「アンコン学内選抜に漏れたチーム」や、「楽器を覚えはじめたばかりの1年生」でも、選抜チームと同じ舞台で演奏をする。しかも、アンコンは基本的に一般公開はしていない。保護者のみの公開であるが、街のど真ん中のメインストリートでの演奏会とあって、出場希望が殺到し、大きなイベントとなったのである。

 山田中に限らず、それこそアンコンで県大会出場決定した優秀なチームから、よく見たらメンバーが足らず、急遽先生が代理で吹いていたチームまで。実に楽しい演奏会となった。最後は、静岡市内でも有数の、入江岡高校の吹奏楽部のアンサンブル演奏となり、さすがに中学生と高校生の差を感じさせるとともに、憧れを更に強く感じられる演出であった。最後は、入江岡高校吹奏楽部全員によるクリスマスソングの演奏で、和やかな雰囲気で会が終演したのである。

 そんなことを知ってか知らずか、美奈たち3年生は、半ば開き直りも含め、高校入試に突き進み、泣くも笑うも結果がひとりひとり、確定していくのであった。花愛は、吹奏楽推薦枠でこの入江岡高校を決めていた。美奈は燃え尽き症候群で、高校は吹奏楽で選んでいなかった。昨年の3年生も、今回の3年生も、「燃え尽き症候群」が発生して、吹奏楽を高校でやらないと、早々決めている子達が半数以上いた。あれだけの演奏ができたのに、もったいない話である。もちろん、いろんな高校の定期演奏会や、学園祭の演奏会などを聞きにいったり、高校体験入学などで、学校生活の一つとして吹奏楽部を見てきていての、結論である。
 音にこだわり、厳しく檄が飛ぶ練習に耐え抜いてきた彼女たちには、妙に腑が抜けたように感じたようである。それと、音楽では将来就職できないという現実を、そろそろ理解しはじめてきたようで、進学のために部活はほどほどに。と言う思いもあるようである。

 そんな思いもある中で、いきたいという高校を狙えず、一つランクを落とす者。市内の高校では受け皿が無く、市外へ通学することを覚悟する者。そう、今までは地域の学区制で、ある意味小学校から同じ中学校にほとんどの生徒が進学するなかで、初めて自分たちの意思でバラバラになるのであった。やっと縁が切れるという思いもあるだろう。もう会えなくなっちゃうという不安もあるだろう。やっとこの子達の目の色が変わりはじめてきた。これが、子供から大人の社会に入っていくという事なんだと、感じてきたのであろう。
 いままで、朝起きれば何も考えずに中学校に行き、流されるまま部活をやっていた様な雰囲気から、自分の責任で選択をしていく。確かに選べない状況になっちゃっている場合もあるが、それは、今までちゃんと勉強をしてこなかった事などが理由であり、自己責任である。すでに、引き返せない「結果」がでていたのである。ちゃんとそこまで考えて行動してきたかといえば、おそらくそこまでしっかりと見据えて生活していた子は、ほとんどいなかったであろう。でも、もう引き返せない「結果」である。

*    *    *

 公立高校の入試が終わったと同時に、3年生は、定期演奏会の練習が始まった。公立を受験しない花愛達は、既に1ヶ月前から2年生達と合同練習を行っていた。美奈達、公立高校受験組は、自分が受かったかどうかわからないまま、とりあえず今やることは「定期演奏会」であると認識して、最後の中学校生活を楽しむこととした。
 しかし、半年間、全く以て練習をしていないので、息は続かないし指は動かない。全く以て吹けていない自分を、分かっているものの実に悔しい状態であった。明らかに現状では、2年生より上手くない。それは十分理解できた。2年生は気を遣って、いろいろやってくれるのだが、「2年生下手すぎる!」と言い切ってきた自分たちが恥ずかしいというか、悔しいというか、今は、2年生の足を引っ張らないようにと思うのがやっとであった。

 山田中は伝統的に、定期演奏会の第2部は、3年生を招待しての合同演奏会となる。時期的には卒業式の直後で、正式には3年生ではないOGOBである。あくまで「ご招待演奏」である。演奏会の主役はもちろん2年生だった。それは、ソロパートの分担ではっきりとわかる。ここは顧問の三田も絡んでいるが、ソロは2年生。もしくは1年生。3年生には吹かせない。これははっきりとしていた。それは、昨年だって同じであり、理解できるのだが、本音は美奈達3年生もソロは吹きたいと思っていた。

 今年は、顧問の三田の計らいで、このご招待演奏が、3年生だけでなく、OGOB合同となり、数名の先輩達も参加する様である。ここはちょっと複雑な思いであった。先輩達が嫌なわけではないが、自分たちの最後の定期演奏会という思いがあり、そこに先輩達が先輩風を吹かせてくるのは、なんかしっくりこなかった。一度は、そんなこともあり3年生全員で演奏をボイコットしようなんて動きもあった。OGOBは、演奏会終了後の打上懇親会には出ないと言う条件で、ここは落ち着くのであった。

部Tイラスト-min

 定期演奏会は、第1部は、いつものように「アルセナール」から始まり、昨年よりまとまった合奏であった。個々の技量向上策が良かったようである。また、1年生もB編成で夏コンを戦ってきたのである。このメンバー、悔しいけど、美奈達のメンバーより一つ上かも知れない。そんなことを思うのであった。
 3年生は、第2部での演奏となるが、自分たちが中心であった昨年の定期演奏会と大きく違い、後輩達をサポートする側に回る。また隣には、大好きな先輩も、怖かった先輩もいて、複雑な気持ちでの演奏であった。
 ラストに向かって、新しい試みをした。それは、3年生2年生全員で舞台前に1列に立ち、1年生の演奏で、合唱をしたのである。これは、夏コンで行った合唱のリベンジだろうか。顧問の三田になってはじめての合唱での演奏である。他校では良くある演出であるが、三田にとって3回目の定期演奏会ではじめての演出であった。そして、その後、アンコールのアンコール。アンコールを2度やるのもまた初めてであるが、OGOBいれて総勢100名超の「アルセナール」の大合奏であった。なるほど100名だと、音が外れてもテンポが外れてもカバーできる。そんな小さな事よりも「迫力」のある大合奏であった。山田中が苦手とする、ボリュームアップの演奏である。
 これには保護者達も感動し、皆、目を赤くしていた。この3年間で最高の「アルセナール」であった。なるほど、定期演奏会始まるまでは、何かいろんな空気が流れていたが、美奈達演奏している側も聴いている側も、全ての人が「感動」できるフィナーレであった。最高の思い出となった。

 打上懇親会で、花愛元部長から、新部長への挨拶、改めてみんなバラバラになることを感じていた。希望通りの進路に行けた者。希望を落としてなんとか引っかかった者。受験に失敗して滑り止めにいく者。すでに違う道に歩き出していたのである。それらすべて、アルセナールの大合奏で、「良き思い出」となったようであった。
 そして、先輩達の悔しい思いを引き継いで、それを超えて「東海大会」を目指す練習がまた始まるのであった。

*    *    *

 さて、3月の最終金曜日、保護者会の会長であった美奈の父は、愛知県岡崎市の虹ヶ丘高校の定期演奏会を見に行くこととした。山田中の黄金期の2期目の東海大会出場メンバーのひとりが、この虹ヶ丘高校に進学し、全日本大会に3年連続出場をして、最後の定期演奏会である為、山田中の誇りでもあるので、是非「全国の音を知ろう」と入場券を手配してもらったのである。会場は、名古屋国際会議場センチュリーホール。そう。まさに、全日本大会の会場であり、美奈達が目指した東海大会の会場でもあった。そう、せめて本番の会場を見たいという思いも別にあったようだ。
 さすがに東海地区常時トップの虹ヶ丘高校である。全国大会に8年連続出場している学校である。オープン前に既に長蛇の列で、巨大な名古屋国際会議場が所狭しと思える状態であった。美奈の父は指定券だったので並ばなくて済んだが、そもそも入場券自体なかなか入手できない程の人気校であることを実感した。

名古屋国際集合-min

 ホールに入ると、建物の外観から想像するよりは小さく感じられた。浜松のアクトシティーホールは、オペラや演劇を主体に考えられているため、袖を含めてやたらに広く感じたのであるが、「国際会議場」である。コンパクトにまとめられているという印象である。指定された場所は、ほぼ中央の通路側。一番全体を見渡せて且つ、ひとりひとりの音が分かる場所である。

 演奏が始まると、ど肝を抜いた。
 違うのである。
 私たちがイメージしてきた音と、全く違うのである。
 第1部は、コンクールでかつて演奏した曲を中心に、クラッシックでまとめていた。総勢120名。今回のコンクールの演奏曲を演奏するときは50名に絞ったが、最大120名。1,2年だけの演奏もあったり、3年生だけの演奏もあった。クラッシック中心の曲なので、木管を重視している。フルート16本、クラリネット20本である。その他、ピッコロ3本、エスクラリネット1本、アルトクラリネット1本、バスクラリネット3本、コントラバスアルトクラリネット1本、コントラバスバスクラリネット1本。オーボエ3本、イングリッシュホルン1本、ファゴット3本、コントラファゴット1本。まるで楽器博物館である。

 演奏にも一工夫していた。第1部3曲目の「ピース、ピースと鳥たちは歌う(伊藤康英)」の時、鳥がさえずりだした。鳥笛でも吹いているかと思いきや、クラリネットパートが手を丸くして口に当てている。そして、そのままクラリネットを持ち出し、本体に取り付けて演奏をはじめた。つまり、マウスピースだけで鳥のようにさえずっていたのである。なるほど。このような演出は、面白い要素である。ただ面白さだけを求めるのではなく、冒頭、オーボエ、トロンボーンとソロで客席をうならせ、終盤トランペットの強烈なハイトーンのユニゾンで上り詰めて鳥たちの勝利の凱旋歌でしめるという曲。なるほど、全国常連の音とはこういうことなんだと感心してしまうのであった。
 1年生から3年生まで総勢120名。楽器によって適宜人数と構成を変えているが基本的には、3年生選抜のみの演奏ではなく、全員で演奏するスタイルである。楽器が増えればそれだけボリュームも取れるが、音がずれるとすぐに濁りやすくなる。同じ旋律を1人で吹いていると、多少ずれても良く聞こえてしまう。B編成が何か良く聞こえたりするのは、そのレベルであるが、そんなことを考えるようなレベルの演奏では無い。大多数の木管を最後にはトランペットでまとめ上げる。最後のfff(フォルテシッシシモ)は、120本の楽器の最大の音である。

 そして、第1幕の取りは、本年度の全日本で銀賞を取ってきた、バッハの「パッサカリア ハ短調」であった。本番と同じメンバーでの演奏である。この数年、バッハを演奏し続けその集大成だとアナウンスされた。バッハは、音楽の父とも言われ、古典はクラシックから現代音楽に至るまで音楽の基本を抑えた楽曲であるが、それ故、基本が確実にできていないと綺麗な旋律にならないというシビアな曲である。静岡の高校吹奏楽部でも、バッハを演奏することがたまにあるが、まず通常では選曲しない。それは、同じ旋律を何度も繰り返すフーガ等手法の音程、音色、ハーモニーの難しさでもあるからだ。すぐに「下手」さがばれてしまう、そんな曲である。しかしどうだろう。そんなあら探しをしなくても十分旋律に体を委ね曲に没頭していくのであった。
 そもそも、パイプオルガン様に作られた曲であるので、吹奏楽用に編曲されているのであるが、吹奏楽器というより、まさに、パイプオルガンを聞いている音であった。木管だけでなく、上手く金管のふくよかな響きを重ねることで、太くて長いパイプをイメージさせているかのようであった。どうしてこれで銀賞なのだろうか、と思うほどの感動を与えてくれた。

 そして、休憩時間。

 ここ何年かのコンクール自由曲(ほぼ全日本大会銀賞)をまとめたCDをちょっと安く売ってもらえるとのことで、慌ててホワイエに出て、購入した。全日本演奏のダイジェストで、素晴らしいと思った。

 第2部は、指揮者が変わり、今までチームを全日本に連続して連れて行った講師の指揮となった。これは、顧問とは別の全日本請負人としての講師の意地の演奏会という位置づけのようである。2曲目は交響詩「ローマの噴水(オットリーノ・レスピーギ)」であった。「ローマ三部作」と言われ古都ローマの栄光を「ローマの松」「ローマの祭」「ローマの噴水」と違う三つの角度から表現をしたもので、ここ虹ヶ丘高校定期演奏会では、一昨年前からそれぞれ演奏し、今回が三部作最後の演奏となるようだ。3年生は偶然にもその三部作を全部演奏したことになる。3年に渡って演奏で繋がる大演出であろう。先輩から後輩へと引き継がれる、虹ヶ丘サウンドとともに、「ローマ三部作」である。このような演出は、聴く方も演奏する方も楽しくなるし、ファンを作りやすいものだと感じられた。

 そして、美奈の父の考え方を根本的に変えた曲の演奏となった。

*    *    *

 第2部の最後の曲であった。この曲は、かつて夏コンで演奏し、全日本大会で銀賞を取った曲である。それをどうしても、全部員120名で演奏したいということで、この定期演奏会のために編曲をして練習してきたそうである。

 「翡翠(かわせみ)」という曲である。(ジョン・マッキー作曲)

 この曲は、美奈の父は、静岡大学の吹奏楽団の定期演奏会で聞いていた。その時は、「難しい曲だなぁ」という印象を持っていたが、良くも悪くもそんなイメージだったようだ。ところがそれが第2楽章で一転する。凜とした翡翠が輝きながら舞い、太陽を浴びて輝きながらホールを飛び回りだしたのである。突然、音場が広がり、テレビでサラウンド効果のスイッチを入れたような感覚で、耳を疑った。

 あくびをして急に耳が鋭くなったような、ステージ全体と言うより、ホール全体から音が出ているのを感じた。何か特殊な装置でも使ったのか、「何だろう」と思っていると、前方の観客がチラチラ後方を見上げている。おやっ、と思い、後ろに振り返ると、2階の更に上の3階左右にトランペットが2人ずつ演奏をしている。ステージに目をやると、ステージにも左右に2人ずつトランペットが演奏している。つまり、4チャンネルステレオ状態である。そして、左右の広がりと、上下の高低差を利用して、会場のホール座席上空を翡翠が飛び回っているのである。さらに、ウィンドチャイムやらピッコロやらで、七色のちょっとメタルカラーのようなキラキラ光り輝くサンシャインが演出され、まるで、サラウンド映画でも見ているかのような音場の移動を感じることができた。

 ステレオとは、左右のスピーカーから音を出す。このとき、全く同じ音を出力すると、スピーカーからではなく、左右の中間点の空間から音が出ているように感じられる。これを属に「ステレオ感」と呼ぶ。このとき、左右の音の大きさを変えることで、音の出る音場は、右から左、左から右へとあたかもスピーカーが動いているかのように変化する。これを上手く利用すれば、映像に合わせて音を動かすことができる。ステレオ録音はそれを自然に取り入れた方法で、例えば、左から右へ自動車が走り抜ける映像に合わせて、エンジン音も左から右へと移動しているように感じられる。
 これに後ろに左右分けてスピーカーを4隅にセットしたシステムが、4チャンネルステレオである。今度は後ろのスピーカーの音量を調整すれば、左右前方の音場が、後方に移動していく。4つのスピーカーが全く同じ音量だとすれば、4つのスピーカーの中心点から音が出ているように感じられる。この4つのスピーカーの音量を微妙にコントロールすれば、音の中心がぐるぐる回転するようにする事ができる。
 今回は、さらにこのリアのスピーカーが、3階遙かに高い場所にあることから、ここに会場の広い高さ空間を自在に飛ぶ、翡翠を表現できるのである。そのために、8人のトランペッターが、音色、音程、テンポをピタリと合わせた上で、微妙に計算された「ずれ」を演出することで、ホール上空を自在に飛び回る音場の移動を実現しているのであろう。

 この演出は、会場後方とか2階席とかでは、全く感じられないであろう。1階席の中心近くにいてこそ、味わえる感動である。こんな演奏の演出は今まで感じたことは無かった。

 なるほど、吹奏楽コンクールではこのような演出はできない。この演奏を聴いてしまうと、コンクールの音源など、ただの「上手い演奏」でしかない。

 演奏途中から体が震えはじめ、なぜか涙が流れ落ちてきた。オレンジ?ライトグリーン?そんな色のイメージが飛び交っていいる。まさに、「翡翠」が羽ばたいて飛び回っているのである。音楽を聴いているのではなく、見て感じている。演奏が終わり、休憩時間をアナウンスされたが、腰が抜けたように全身力が抜けて、ただ涙が流れ落ち、手足が震え、体全体が脱力感で椅子から動けなかった。まさに「腰が抜けた」状態であった。

*    *    *

 そして、落ち着いた頃、第3部が始まった。まぁ、ここはどこの吹奏楽部定期演奏会にもある、ポップスを中心にラフに楽しむという感じであるが、そこも全日本常連校は格の違いを見え付けてくれた。はやりのポップスや、どこの吹奏楽部も好きで演奏するような曲はなかった。そして楽譜のままというより、すべて特別に編曲されたオリジナルであった。
 終盤にさしかかると、劇のような演出となった。良くある定期演奏会だと、曲と曲の間に寸劇を入れて観客を楽しませてくれるが、そういう演出はなく、ちゃんとした「劇」が組まれていた。それは「おまえうまそうだな」であった。この童話は、子供達も大好きで絵本にもあるのだが、ここではブラックライトによるライティングシアターとして演出された。蛍光色を使った恐竜や草木のペインティングを施した板を、黒子が動かし、ブラックライトを浴びせれば、暗闇に浮かび上がってくる。なんと、特別許可を取って「非常口」のライトも隠され会場は真っ暗闇となる。そこに浮かび上がる恐竜の絵。それだけで引き込まれていく。
 演奏は、そのBGMとして使われていて、曲よりも演出で勝負をかけているようだった。というよりも、BGMとしても何も邪魔にならない、むしろプロの演奏ではないかという完成度である。曲がうまく吹けるとか、そういうレベルで演奏をしていないのである。また、「非常口」のライトも黒幕で消されている会場内。演奏する側も、全く光のない状況である。完全暗譜での演奏である。それもすごいことだが、「だから何か?」と、そのレベルで演奏しているのではないことが感じられる。
 この光と暗闇と音楽の演出は素晴らしいもので、子供向けの「劇」であるのに、最後はなぜか目に涙が浮かんできた。完全に飲み込まれていたのである。これが「演奏」ではない「演出」だと、改めて感じることができた。

 最後の演奏は「オペラ座の怪人」であった。クラッシックの曲であるが、もはや、吹奏楽編成であることを忘れ、そこにはバイオリンの音を感じる仕上がりであった。

 管楽器は、どうしても息を吹き込む瞬間、空気が瞬間的に圧縮され、またすぐ元の圧力に戻るという流れを起こし、当然その為に音色が変化するものである。当然、それを防ぐために音になる直前に息を吹き出し、安定させてから「音」にするタンギングという技法を使ったり、若干高めに吹き出してすぐに落とすとか、いろいろな技法を駆使して、管楽器特有のふわっとした音色を感じさせないようにするのが、プロの演奏法である。それでも管特有の丸い響きが、クラッシックの管弦楽とは違う音色となるのである。そこを、いくつかのピッコロや、トランペットの高音を利用して、音の出だしにわずかに、この高音を入れるのである。こうすることで、バイオリンの弓が弦を引っ掻いた瞬間の音の立ち上がりの雰囲気の音にする。そんなイメージの演奏法があるのだろう。まさに聞き込んでいくと、クラリネットとか、トランペットという音色ではなく、「バイオリン?」と間違うような雰囲気となっていく。
 この音色になれてくると、全体でボリュームダウンして、だんだんと大きく、また強く音が奏であれ、最大の音になる。この最低の音から最高の音までの、ダイナミックレンジの広さが、まさに管弦楽のオーケストラを彷彿させる演奏であった。とかく、吹奏楽は、強く吹き、最初から最後まで「大きな音」が重宝される傾向が強い。派手と言えば派手。勢いがあると言えば勢いがある。ただ、長く聞いていると、聴き疲れてくるのである。

*    *    *

 美奈達の「夏コン」県大会の時の総評に、東京吹奏楽オーケストラのフルート奏者の談があった。

「フォルテッシモは、大きくではありません。ピアニッシモは小さくではありません。
 「強く」、または「弱く」であります。
 とかく昨今は、大きく派手な音の演奏が流行っているようですが、音楽は、小さくても強く、大きくても柔らかい演奏が求められます。そして、そのダイナミックレンジの幅の広さが演奏の奥深さを感じさせるのです。
 全体の音が小さくても、バランスが取れていれば、それは「ハーモニー」として成り立つし、大きくて派手な音でみんなが注目しても、出ている音に繊細さがなければ、飽きられます。音のバランスをもっと丁寧に演奏してください」

 派手な金管に押され気味の、木管の立場を良く捉えてくれているようなコメントであったが、それは逆に、チームにとって致命的でもある音が大きくならなかった美奈達バンドでも、音のバランスが取れ良いハーモニーであったと、あえてコメントしてくれたのではないかと感じたものであった。
 ここ、虹ヶ丘高校も、クラッシック重視の学校で、木管中心の音を構成している。つまり、金管重視の他校と比べて、いつも音が小さいと指摘されているようだが、どこ吹く風である。
 名古屋国際会議場のとても広い会場全体が、全く何も聞こえない無音になり、そこに、わずかにピンを落としたかの小さく、でもしっかりとした音の演奏から、120名の奏者が全員が思いきりの力で吹きまくる大音響、でも、音が割れていなくちゃんと調和も取れ、予期せぬビブラートによるよどみもない、はっきりとした「一つの音」まで、演奏しきれる、これが虹ヶ丘サウンドであった。

 そして、全員での合唱となるのであるが、ここは、宗教の力であろうか。だんだんその気にさせるような演出でもあった。一人ひとりにスポットライトが当たるが、よく見れば、まだ女子高校生。まだまだ子供である。娘である。かわいらしい無邪気な屈託のない笑顔である。でも、彼女らの演奏する音は、涙を流させ身体を震わせるそんな力があるのである。

 そして、はっきりとしたメッセージが伝わってきたのである。
「この最高のステージを作るために、私たちはここにいます。
 今日のステージはどうでしたか?
 ぜひ、私たちのファンになってください。」
 そう聞こえた感じがした。

 彼女たちには、吹奏楽コンクールなど、どうでも良いのである。この3月のこの演奏会のために全てが組まれているのである。たまたまその準備段階に、夏コンがあり、たまたま全日本まで出ていっただけである。「音が小さいから銀賞止まりだ」という声も、どこ吹く風。全く気にしていない。たった、55人で、たった12分の演奏。それで何ができるのか、そうではない。それは単なる「コンクール」であり、「ただの点数」でしかない。演奏とは、演出であり、持てる全てを持って最高の演出をもって、観客を魅了する。これが、私たちの求める「演奏」である。という強い意志を感じることができた。

名古屋国際会議場イラスト-min 

 美奈達、また保護者の美奈の父達も、違った取り組みをしていたのではないか。「東海大会」に出たい。それは、誰もが思う素直な気持ち。それは良い。でも、「東海大会」に出るために「何をどうする」のではない。
 そこに「なんで演奏するの」、「なんで練習するの」という、心の向く方向性が違っていたのではないだろうか。
 「東海大会」は、単なる結果に過ぎない。金賞になるか銀賞になるかは、当日の流れもあるし、審査員の好みもあるだろう。どうでも良い話である。自ら納得出来る最高の演奏を演出することができたのか、もっと言えば、そういう演出にこだわったか、これが重要な過程であり、重要な要素である。「形」にとらわれすぎて、「心」の方向性をまとめられていなかったような気がする。
 もちろん、従来通りの練習ではとてもそれだけの技量に育たない。その為にいろいろな取り組みを実施した。しかし、その取り組みに振り回され、最終的に目指す「ビジョン」が見えなくなっていなかったか。

 簡単言えば、「誰のために演奏しているか」これを見失っていなかっただろうか。

 仮に、何かの間違いで「東海大会」に行けたとしても、それは実力ではなく偶然でしかない。たまたま他校が上手くなかったとか。たまたま、上手い奏者が何人かいたからとか。それでは、その学年が卒業したら続かないであろう。かつて「東海大会2年連続出場」という輝かしい歴史があった山田中でも、その後顧問が替われば、「県大会止まり」である。
 美奈達ひとつ上の先輩達の中に、スーパーヒーローと呼ばれる上手い人が何人かいた。だから県大会金賞だった。美奈達には、いなかった。だから銀賞に落ちた。という事だろうか。
 そうではない。
 「誰のために演奏するのか」が、明確でなかったであろう。
 「東海大会」に出ることは何を意味するのか。誰が喜ぶのか、誰に喜んでもらいたいのか。演奏する美奈達にとって、何が大切なことか。何を守りたいのか。誰に聞いてもらいたいのか、誰から褒められたいのか。もっと、この「心の向き」をまとめるべきではなかったであろうか。

 なぜ、いつももめていたのか、誰が悪いのか、自分はそれに見合う動きをしていたのか、何で牽制し合ったのか、純粋に泥をなめてでも、「誰かを喜ばせたい」という気持ちで演奏するという事、なんでできないのか。そもそも演奏していて「楽しく」なかったのか。もっと「楽しく」と思わなかったのか。例えば、合唱の時、どうして「しかめっ面」で唄うのか。「楽しい」とか「嬉しい」とかそういう気持ちにはなれないのか。

*    *    *

 とある中学校では、顧問の先生と意見が合わず、顧問の先生が練習を放棄。子供達だけでバラバラな演奏会を行うこととなってしまった。その対策として、校長が一人一人と面談をして、何時間も話し合って、新しい顧問を迎え、そして翌年の夏コンの時。前の演奏会では、作り笑顔でなんとか繕っていたフルートの子。夏コンではピッコロに変わっていたが、顔はこぼれる笑顔であった。
 よくある、「ねぇ、私上手いでしょ。私の音を聴いて!」という表情で演奏する子は多い。
 でも、その時のピッコロ担当は、「ねぇ、私今、吹けてるの。すごく嬉しいの。やっと楽しく吹けているの!」という表情で、舞い踊る音であった。

 コンクールである。点数が付けられる演奏であるが、そんなことどうでも良い。その最高のステージで吹けている自分が嬉しくて仕方がない。その場を演出してくれた顧問に感謝して、最高の「音」で返しているようだった。
 その子のこと、何も知らないが、その前の演奏会を何度か見たので、そんなストーリーが勝手に思いつき、気がつくと、名前の知らないこの子に涙が出ていたのである。これが、本気の演奏なんだろうと思う。本気であれば、知らない人でも感動させられるのである。これが「音楽」なんだと思った。

 まさに、山田中学にはそこがなかった。

「めざせ!東海大会」これでは、「東海大会」に行けない。気がつくのに遅かったのかも知れない。

 美奈達は、中学校を卒業して、高校へとそれぞれの道を歩んでいた。高校で、吹奏楽を選ぶ者、すっかり止めてしまった者。高校でも吹奏楽を続けている人は、わずか1/4でしかなかった。それが全てであろう。「心の向き」が同じでなくても、そこそこ上手い演奏ができてしまう。そこは顧問のなせる技かも知れないが、やはり演奏している本人達の意識と覚悟がなければ、やはり単なる「かけ声」でしか無かったという事であろう。
 それでも、そこはまだ中学生である。その「心の向き」にかかる処まで掘り下げられるだけ、打ち込むことができた吹奏楽部である。文化部のなかの体育会系とまで言われるのは、単に体力を使うと言うことより、この精神論のことではないだろうか。

 「みんなで心を一つにする」と言うことを、「全体主義」とか「個性を無視する」とか否定的な意見が多い。部活の時間短縮の話も、この見方が便乗して「吹奏楽不要論」にまで発展している。何か違うと思う。
 「心を一つにする」のではなく、「方向性をまとめる」のである。
 「誰かのために演奏する」、その誰かは、それぞれが感じることで、みんなで「同じ誰か」にするという事ではない。それが、「子供」であっても「プロの演奏家」であっても、「自分の家族」であっても、対象は誰でもかまわない。でも、その「誰かに喜んでもらえる、感動してもらえる、その為にできる最高の演出をしよう。」その思うベクトルがおなじであれば、良いのである。

 誰かに喜んでもらえる。そのことを褒められる。そして自分も幸せを感じることができる。
 これこそ、最高の自己満足であろう。これが、全てである。

 美奈は、高校で吹奏楽をはじめた。そこは、夏コンにはあまり力を入れていない。でも、最高の定期演奏会のために、いろいろな要素を取り入れていた。夏は、高校野球の応援である。静岡市内でも最も古い高校の一部で、伝統の高校野球の応援は、熱のはいることである。

 そんな高校生活を過ごしながら、この「誰かのために何かを必死でやる」という永遠のテーマを見つけていくのであろうか。

 そして、また暑い夏が始まった。後輩達の「東海大会」への挑戦が続いていくのであった。



第20話 <
めざせ!東海大会♪メニュー



めざせ!東海大会♪ Fun Club    

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

※ この物語は、とある、地方中学校を舞台に繰り広げる、無謀かつ純粋な挑戦の記録です。
※ ストーリー全体はフィクションでありますが、一つ一つのエピソードは実話を基に、アレンジをして書かれています。
※ 登場する実在の学校、団体、個人等と、全く関係・関連はありません。
※ この作品「めざせ!東海大会♪~ある吹奏楽部の挑戦~」は、著作物であり、版権は著者に依存します。無断転載、転用はお断りします。
※ 原作者(著者):ホルン太郎 なお、この作品は、取材で集めた実話をヒントに新たに書きおろしたフィクションです。
※ この作品は、一般市民団体「まちなか演奏会実行委員会」によって公開されています。

bottom of page